これは、もう何度も書いたけれど、なお書きたいと思ってしまうほど、私にとってかけがえのない存在の、初めて好きになった人の話である。

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初めて人を好きになって、両想いだと分かって付き合ったのも束の間、私達は、別れてしまった。お互い初めての恋愛で気恥ずかしくなってしまってそれまでのようにうまく話せなくなってしまったのが原因だったと思う。

何度後悔したかしれない。何かをしたせいで別れたのでなく、お互いが何もできなかったせいで別れてしまったからこそだ。あの時勇気を出して一緒に帰ろうと言えていたら、婉曲な言いまわしではなく、真っ直ぐ好きだと伝えていたら、隣を歩く彼に、ほんの数センチ手を伸ばせていたらと、たらればを言えばきりがなかった。

けれど、どれだけ苦しくても切に願っても、時間は戻らないし、私達が友達に戻ることもなかった。高校1年生だった私は、一番嫌われたくない人に嫌われたかもしれない辛さに、ただじっと耐えていた。

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でも、今だからこそ言えることだが、あの苦しさを経験しなければ、今の私はないと言い切れる。

終わらない失恋に自分自身辟易してきた頃、ふと私は思った。一番好きな人に嫌われてもなんとか私は生きてる。それならこの先誰に嫌われてもきっと大丈夫だと。それまで、誰にも嫌われたくなくて、いじめのターゲットにされたくなくて、八方美人をしていたが、憑き物が落ちたように、私はそれをやめた。

自分を着飾らずにいることで、大学ではそれまでのように誰からも好かれる天使のような扱われ方をされることはなくなったけれど、私はその方が心地よかった(高校では私は博愛の天使だと裏で言われていたらしい)。

私はプライドが高くて、自分だけでなく他人にも厳しくしてしまう時があって、グループ行動が苦手。今までは、私を好いてくれる人がいても、結局良い部分だけを見てるからであって、そうした短所を知れば離れてしまうんじゃないかと思って、完全に心を開くことはできなかった。でも、私が好きではない私を見せてもなお、私の周りにいてくれる人もいることを知った。その人達なら私は案外簡単に受け入れることができた。

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周りの目を気にしてできなかったこともたくさんした。キャラじゃないと言われた居酒屋バイトだってしたし、みんなが面倒だ偽善者だと言って煙たがったボランティアや校外活動もした。本当は、ずっと前から私はそれをしたいと思っていた。本気で何かに打ち込む人をかっこいいと思っていた。本気で頑張る人をガチ勢だと笑う人をかっこ悪いと思っていた。

今、私は私の思うかっこいいとか、好きだという価値基準で動いている。そのために疎まれることもあるけれど、私は全然構わない。私は私が大切にしたいと思う人に大切にされるよう動くだけだ。

本音を言えば全く気にならないわけではないけれど、私はあの失恋の痛みを知っている。あの痛みに比べたら、あなた達の陰口なんて痛くも痒くもない。彼のことが大好きだったから、本当は味わいたくなかった痛みだけど、私は今、あの痛みのおかげで強くなれている。だから、その痛みごと、彼を大好きだったあの頃の私を愛してあげたいと思うのです。