私に足りないのは「経験」。小さな挑戦を重ね自分に夢を与えたい

新しい年を迎えて、もう1か月が経とうとしている今、ようやく私は2025への目標をまとめることが出来そうだ。
山を越えたと思えば、谷を越え、そして荒波に乗った2024。今振り返ると、何か大きな物事を成し遂げたわけではないが、ただ生きるだけで辛い場面に出くわすことが多かった1年だった。もう22年生きてきたけれど、そのなかでも一番、印象深い年だった。
ほんとうに一生忘れられない年だった。でも、2024年に戻ってみたいですか?と問われると、いいえ、戻りたくありません。と即答するくらい、険悪な年だったともいえる。
決して幸せな感情が行き交った年ではなかったが、もう終わったので、2025へ目を向けなければいけない。新しい年が、苦しくて仕方のなかった2024を消し去ってくれるはずだという、ずっと追い求めてきた希望を私は叶えたいと思う。
2025年の目標は、経験を積むこと。
これは20歳になってから、特に感じたことだけれど、中高時代の友人がそれぞれ夢を必死に掴んでいる姿に、私は少し戸惑っていた。どうして戸惑っていたのかというと、人生の節目に追いついていけないと思っていたから。
でもそれは思っていたのではなく、自分が勝手に思い込んでいただけだったのかもしれない。周囲の人たちが、どんどん経験を積んで、新しい場所や新しい人間関係に溶け込んでゆく。それが私にはなんだか寂しく映っていたし、自分自身の実力のなさに情けなくもなった。
そこから私は必死に考えるようになった。そうした寂しさとか情けなさを払拭するには、何を始めればよいのだろうか、と。しかし今の自分に足りないものは、深く考えなくても明白だった。それは「経験」だった。
今の私は、圧倒的に周囲と比べて経験値が不足している。そのことに、21歳の後半あたりでようやく気付いた私は、かなり疾走?奔走していたはず。
具体的にいうと、1日のスケジュールが2つ以上だと、キャパオーバーして心が折れそうだったけれど、あえて学校の課題にそっと付け加えるように、アルバイトもやってみた。3時間程度働いたくらいだけど、小さくても歩を進めていく。それを心がけて時間との向き合い方も少しずつではあるが、考えながら、慎重に計画を練りながら、進んでいったように自分では思う。
その延長線上で、2025年もなるべく経験していないことに挑戦してみる。まずは何気ない小さなことから始めて、それを積み上げていこう。そうしたら、次第に自分にとって大きな挑戦となるはずだから。
この文章を綴っている今も、頭の中は2日先のスケジュールのことでいっぱいである。知らない場所に行って、初めまして!の人と会うシナリオ(採用面接に行く予定)だけでも、私はかなり身構えてしまうので、どうなることやら!
それでも1日の予定が私の人生にとって、大きな挑戦と等しくなったとき、ようやく経験値を上げられるのだと思う。どれから手を付けたらいいか、頭と心のなかを整理しながら、「挑戦」を目に見える形にしていく。
それが私にとって2025の目標というか、夢というか、小さな希望でもある。今の自分にできることを精いっぱい重ねる。小さなことでもいい。それがどんどん大きくなって、自分で自分に夢を与えていけたらなあと思う。
そして、これから経験するはずの人生の節目を、自分で祝ってあげられるような大人になっていきたいとも考えている。どの道を選ぶにしても、その道を確かなものにするには一定の時間がかかるということを、今までの人生で知り得てきた私ならきっと大丈夫だと信じたい。
そして2025年12月31日には、見違えるほどの経験が私を優しく包み込んでくれることを願って、今ここで述べた目標を実現していきたいものだ。
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