母の前で答えた言葉への後悔は今も。一度口に出した言葉は消えない
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確か母と私と妹で雑談をしていて、その流れで妹が母親に何か注意をされた時である。
当時小学3年生だった妹は注意された内容の理解まで追いつかず、ただただ「怒られた」ことに不満を覚えたのか、私に「この家じゃなければよかったって思ったことある?」と聞いてきた。私は「ある」と答えてしまった。その場で母に対して謝った気もするが、取り返しがつかないことをしてしまったと思った。
完全な言い訳であるが、私もその時ちょうど不満を抱くような出来事があった直後だった。だから、流れに身を任せて「ある」と返事をしてしまった。また、そのときは2021年の1月で、ちょうどコロナ禍真っ只中だった。
振り返るとこの時期は皆、見えない未来への不安や、外出が制限されたりと不自由さを感じていて、ぶつけどころのない怒りを抱えていたと思う。私もその中の1人だった。そのため八つ当たりのようなことをしてしまったのだと思う。
不満を抱いていた原因は、緊急事態宣言により学校がリモート授業に切り替わることが決定し、それによりチケットを取っていた舞台の観劇を止められたことだ。コロナの影響で何度も舞台の公演中止や観劇ができなくなる体験をしてきたが、自分が病気にかかっているわけでもなく、公演は行われていてる状況で観劇できなくなることが1番辛い。
当時はファンクラブに入っていなかったので、チケットは一般販売と呼ばれる先着順に取る方法で手に入れていた。一般販売はほとんどの公演が販売開始から5分以内に完売するのでいつも全力で挑んでいた。私は先着順でチケットを取ることが得意だったので、行くことを止められた公演の時もいつも通りチケットを購入することができた。
いつも通りと言ってもこの方法取るときは今でも緊張するし、取れたときは心からほっとする。また、一般販売は抽選や先行販売が終わった1番最後に行われるためほぼ最後列の席が売られるのが普通だった。
しかしこの時だけは違った。1階1桁列のセンターブロックが来たのだ。こんなことは初めてだった。舞台を頻繁に見に行くようになったばかりで観劇数も多くなく、1桁列で見たこともそれまでに2回しかなかった。その観劇を心待ちにしていた矢先だった。
2021年の1月に何度目かの緊急事態宣言が発令された。それと同時に学校の授業がリモートに切り替わった。確か観劇日の数日前だったと思う。冬休みの後に学校に行く機会があり電車に乗ったり友人と直接会っていたし、学校はリモートになったが観劇は1人で行くため誰とも喋らないことから私は観劇に行くつもりでいたが、念のため母に確認を取った。
そうしたら父親の許可が取れたらね、と言われた。この言葉を聞いて行けなくなることを悟った。その日の夜に父に行ってもいいか聞くと案の定ダメだと言われた。仕事だからと飲み会に参加していて、私が観劇にかけている思いも知らない父親にダメに決まっている、と頭ごなしに否定されたことに対し本当に腹が立った。
父親はダメだと言うことがわかっていて判断を委ねた母に対してもずるいと思った。SNSには私が行けなくなった公演を見に行った人たちの楽しそうな感想が上がっていた。それを見て親が自分と同じ趣味であれば、外出を許可してくれる人であれば、環境が違えば、と思っていた時に妹に「この家じゃなければよかったって思ったことある?」と聞かれたのだ。
「ある」と答えた瞬間に激しく後悔した。絶対に言うべきではなかったし、母親を傷つけてしまったと思った。勇気がなくて母とこのことについて話すことはまだできないが、言った本人が思い出すだけで泣きそうになるくらい罪悪感に苛まれているのだから母の記憶にも残っているだろう。
一度言葉にしてしまったら訂正してもなかったことには出来ないし、言葉によって負ったダメージは忘れたつもりでいても心の奥底に残ってしまう。
だから、もし同じことがあっても言葉にしたくないし、同じように不満を抱えている状態だったとしても考えてから発言できる人に成長できていることを祈る。このことは忘れないし、忘れてはいけない出来事として一生私の記憶の中にとどまり続けるだろう。
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