絶対にピンクがよかったランドセル。祖父母から贈られた紫は宿命の色

1998年生まれの私の世代では、女子のランドセルは赤が1番人気、次点でピンク、といった感じだった。水色やオレンジはクラスに1人いるかいないか。本人はピンクが良かったけど親に反対されて赤にしていたり、赤とピンクの中間みたいな色の子も多かった。もちろん地域差はあると思うが。
私も例に洩れず、「ピンクがいい!」と要望していた。
そんな私のランドセルは、父方の祖父母が買ってくれることになっていた。父の実家は私が住んでいた札幌から車で3、4時間かかる地域にあり、ランドセル購入のためだけにそちらに行く・来てもらうことは憚られたのだろう。要望を伝えた上で祖父母に購入してもらい、お正月に泊まりに行く際に引き渡してもらうことになった。
そして迎えた大晦日。渡された箱を開けて出てきたランドセルは、紫色だった。
当時まだ幼稚園児で細かな記憶は無いのだけれど「いや、紫やんけ」と思ったことはしっかりと覚えている。
祖父母は決して、嫌がらせのつもりで違う色を買ったわけではなかった。「紫の方がいいわよ〜」みたいなお節介でもなかった。商品名にしっかり「ピンク」が含まれていたのだ。覚えてないけど「なんちゃらレッドピンク」みたいな名前だった。だから祖父母は、これはピンクなんだと認識した上で買ってくれたのである。
しかし、紫だった。完全にメーカーの名付けセンス不足だったと思う。あの色を初見でピンクだと思う人は、100人中3人いるかいないかだろう。ちなみに言うと「レッド」感もゼロだった。
具体的に言うと、イオンの看板の色のトーンを少し暗くしたような感じだ。「色 一覧」で調べてみたところ、カラーコードでいうと「#90326D」、「紫式部」という色が一番近い気がする。名前からしてもう、紫である。
このとき私はよほど残念そうな表情をしたらしい。母は「名前にピンクって入ってますもんね〜〜」などと必死で取りなしていた。
確かもう返品交換の期限は過ぎていて、私は小5までこのランドセルを背負った。同級生たちも、この色をピンクだとは一切認識してくれなかった。色鬼のとき、「紫!」と言われて皆が私のランドセルに集ったことは今でも忘れられない。
それから15年以上経った、23歳の春。
友達とパーソナルカラー診断を受けに行った。診断士のお姉さんは迷った末、私をイエベ春に仕分けた。イエベ秋にもブルベ冬にも似合う色があるものの、ファーストは春。ブルベ夏だけは絶対無い、とのことだそうだ。
途中、1人ずつ「赤・青・緑・ピンク」の中から2色選んで、その色の中で1番似合う色味を教えてくれるという時間があった。私は青とピンクを選択し、いくつかの布をあてられたのち、青は濃いターコイズブルーを勧められた。そしてピンクで最も似合うとされたのが、なんとあの「紫式部」みたいな色だったのだ。
10数年越しの「いや紫やんけ」を、心の中でつぶやいた。ピンクらしいピンクの中で私に似合う色はあまり無いらしい。イエベ春なのに!?と思ったが、そういうこともあるのだろう。
あのとき、あの色のランドセルが私の元に来たのは、もしかしたら宿命だったのかもしれない。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。