拝啓、お父さん様。
あなたがアルコール依存症になって、5年が経ちました。もうお酒は飲んでいないけれど、私はこの先二度とあなたを好きになることはないでしょう。

中学生になっても膝に入るほど大好きだった父が、アルコール依存症に

実の兄と10歳離れている私は、父が40歳の時に生まれた娘。4人家族の中で、唯一B型の父。父は窓ガラスなどを設置する仕事を営む職人気質の部分がある人だったけど、決して怒らない父のことが大好きだった。それはもう、中学生になっても膝に入ってテレビを一緒に見る程度には。
大学生になって一人暮らしを始め、一人の身軽さに快感を覚えた。地元に戻って就職したときも、職場の近くにアパートを借りて一人暮らしを続けたほど。その矢先に父がアルコール依存症になったことを知った。
一人の時間を大事に過ごしていた私には、依存症になった父の愚痴をこぼしにアパートを度々訪ねてくる母が煩わしくてたまらなかった。しかし、私も社会不安障害を患い通勤できなくなったために実家に戻ることになる。そうして父との生活を再開してみれば、母の愚痴も納得のいく毎日だった。
酒に酔ったまま仕事にいくことも常で、1年の間に3回も車をぶつけ保険を使った。いつ人を轢くか気が気じゃなかった。アルコールのせいで脳が萎縮し、頑固さに磨きがかかり、子どものようなわがままが目立つようになった。私が使う車に傷をつけても自分ではないと言い張り、私が喚き散らして謝らせるまで「ごめん」の一言も言えなくなっていた。

家の中は常にピリピリし、幼い頃大好きだった父の面影はなくなった

アルコールだけに限ったことではないが、依存症患者と接するにあたって「患者が犯した失態は、患者本人に尻拭いをさせること」とよく言われる。それを聞いた時、何を言っているんだと腹立たしくて仕方がなかった。だって、父親が人を轢いたとして「アルコール依存症なので、家族は尻拭いをしません」なんて言ったところで、被害者側は納得なんてできないだろう。それを言う病院の先生も依存症専門家も、誰もそういう言説を言ったことについての責任を取ってはくれないのだ。
家の中は常にピリピリしていた。父の意味不明な行動で家の内外を問わず物が壊れ、料理は食べられたものではなく、仕事にも行けなくなったため家の収入は減り、入院で多額のお金が出ていくばかり。口論も絶えず、社会不安障害を患って精神的に不安定になっていた私は母の怒声を聞きながらただ涙を流すことしかできなかった。不眠も悪化し、結婚して市内に戸建てを構えていた兄の家へ数日間避難させてもらったことすらある。
もうこの頃の私には幼い頃大好きだった父の面影はなく、遅れてきた反抗期のように嫌悪感だけが募っていくばかりだった。

依存症が回復しても、悪化した家庭の雰囲気も元通りになることはない

父が治療を受け始め、何度かの入院や再飲酒からの断酒会参加を経て、アルコールを受け付けない身体になってから5年になる。もうアルコールは飲んでいない。それでも一度地まで落ちた信用も好意も戻ってくることはない。悪化した家庭の雰囲気も元通りになることはない。息苦しさばかりが蓄積されていく家を一刻も早く出たい気持ちだけで、毎日の仕事に励んでいる。
お父さん、あなたが患ったその病気は、周りの人を不幸にするものです。支えてくれている医療関係者の皆様に感謝して、自らの手で削りに削った残り少ない余生を好きなように生きてください。
あなたが亡くなった時、自分が悲しめるかどうか今はわかりません。そして、こんなことしか伝えられない自分が、親不孝者に思えて仕方がない。それでも、私の心の平穏のためにいずれ家族を捨てることを許して欲しい。
私が父を好きになることは二度とないだろうけど、私の自立を促してくれた事実だけは感謝しています。この思いが伝わる日も来ないかもしれないけれど。