「今さらそんなの言っても遅い」とかヤメタイ。私は今を生きている

今だから言えること、それは私の中で沢山ある。
例えば10代の時に感じていた悩みとか。その頃は何に対しても過敏な性格で、直ぐ色んな事に気を病んでいた。後は人間らしさや女性らしさに欠けている部分があったから、求められる女性像や人間性に凄い嫌気がさしていた。そういう名前も無い心の症状にどうしていいのか分からず、ただただ何も言わないで笑っていた。
風邪引いてないんだから学校行けと無理矢理腕を掴まれ、クラスに閉じ込められた時も、どうして学校に行きたくないのか上手く説明出来なかった。でも今だったら、私はHSPでとか、自分のMBTIを伝えたりすれば、詳しく話さなくてもニュアンスで理解してくれる世界に変わってきている。だからこそ、時代の変化に救われている部分もある。
後は、女性はこうあるべき・男性はこうするべき、そういう固定概念も変化しつつある。私自身家事は得意でないし、専業主婦とか向いてない。でも今は亭主関白の様な考え方は少なくなり、働き方も様々である。
私達は無意識の内に、人類の進化という名の時代の進化をしているのだろうな。生命が生きやすくなる為にエラ呼吸を覚える様に、私達が生き易くする為に在り方を変えていく。定められた見えない法律は、人を縛って苦しめるから反抗心が強くなっていく。よく歌詞で固定概念を壊せとかあるが、当たり前だけどその固定概念が無ければこの様な言葉は作られない。誰かがその概念に傷つき、生きづらいと感じたから生まれたのだろうな。そういうのは時代が進化する上で邪魔にも感じるが、変化する時は誰もが予測してない行動を起こした瞬間だったりもする。だから意外と調律は合っているのかもしれない。
でもそう思えるのは時代が変わったからであって、今も昔も同じことで泣いていたら多分社会を恨んでいたと思う。それに今でも生きにくさを感じている人は居るだろうから、これを読んでいる人は、貴方は幸せそうでいいねとかマイナスな発言が飛び交うのかな。だとしたら、この世界で心に余裕がある人はどの位いるのだろうか。何か話が脱線している様に思われるかもしれないが、主旨はぶれていないので、たぶん。
まぁ結論から言えば、変化を求めるならば自分で何かを行動したり伝えたりしていく必要がある。マイナスな発言ばかりの世界では、人は閉じ篭り、伝えることが嫌になる。じゃあ負の言葉を言うことは悪いのかと言えば、そうでもない。私は直ぐ溜め込む癖があるので、人に思ったことを伝えるのが苦手だ。だけど周りの誰かがこれは嫌だとか、これは辛いとか話せたら、実は同じことで抱えていた人も心が軽くなるかもしれない。言ってもいいのだと思えるから。多分その感性が進化に必要なのかも。
だから、マイナスもプラスも関係ない。言いたい時に伝えたい時に、相手に話すことが大切なのだ。これだけ言っているくせに、私が一番出来てないので、ある意味エッセイにすることで決意表明にも繋がるのではないかと思っている。
時代が変化するには、誰かの新しい何かが必要だ。その時は直ぐに変わらなくても、大きな流れのなかできっと大切になっていく。昔の私は、伝えても分かってもらえないと思い何度も言葉を飲み込み、無理して型にはめ込んで求められる理想像に近付こうとしていた。だけどそれをするよりも、もっと大事なことを言うべきだった。そうしないと、周りは何も変わらないから。
でも学校に行かないと卒業できないとか、会社に行かないと生活できないとか、きっと色々な思いがあがってくるだろう。それこそ、訴えた所で社会の現状は変わらないと思い、生きること自体が辛いと話す人もいるだろうな。
それに対して、アドバイスなどおこがましくて出来ないけど、今の私が今の時代で話すことは変化に繋がらないだろうか。もう、昔はこう思っていたとか、今さらそんなの言っても遅いとかそういうのはヤメタイ。だって私は今を生きているのだから。私はそういう人達が生きやすくなれるように、今の私の言葉で伝えていきたい。あれ、エッセイのテーマとずれてないよね……。まぁ、あんまり気にしないで下さい。
今だから言えることを増やすのではなく、言って良かったことを積み上げていきたいな。でもこう思えるのは、今大人になって色々知ったから言えることだけどね……。
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