大伯父が亡くなって気がついた、「料理で人を幸せにする」の真意

初めて出席したお葬式は大伯父のものだった。
私の実家は、右に大伯父と大伯母の家、左に祖父母の家があって、何かと親戚ぐるみでご飯のやりとりをしたものだ。「今日はあそこのスーパーのお惣菜が安かったから」とか「唐揚げいっぱい作ったから」とか、ほぼ毎日食卓に母が作ったものとは別のものが並んでいた。
中でも私は大伯父の作る手羽元のニンニク醤油焼きが好きだった。大伯父の家はまだ外に窯元があって、ひいばあちゃんはよくそこで野菜を炊いていた。もちろん風呂の湯も薪で沸かす。
大伯父の作るそれは、手羽元をニンニク醤油に漬け込んで、味が染み込んだところで炭火で焼く。なんてことはない、至ってシンプルな男飯なのだけれど、とにかくこれが美味かった。親戚で集まってバーベキューをするときは必ずこれが出てきたし、必ず売り切れた。
大伯父が死んだのは中学生のときで、私にとっては初めて他界した身内だった。何の病気だったのかは知らないが、入院先の病院で亡くなった。大伯父の最期を看取った父から電話があり、母から伝えられた。明日も学校がある日の寝る前だった。
お葬式には制服で参加した。普段着しかみたことない親戚が一同そろって黒い服を着ているのが見慣れなかった。かく言う私も冬服で紺色だったので周りと大差ない色味だったのだが。
大伯父が死んだことは悲しかったけれど、大伯父と私の間に特別な仲良しエピソードなんてものはないし、大伯父が伯父にあたる父と同じ温度で悲しむことはできなかった。ただ、お坊さんが南無阿弥陀仏を唱えている間に「もうあの手羽元は食べられないのか」と気づいたとき、大きな喪失感を覚えた。
父方のばあちゃんが作るおはぎ。母方のばあちゃんが作る千切り大根の酢の物。母が作るコロッケ。私はどれも好きなのに、作り方を知らない。彼女たちは私より先に亡くなる存在なのに、そのどれも作り方を知らないのだ。
先日、手羽元を買ってきてニンニク醤油に漬けて、オーブンで焼いてみた。美味しかったけれど、求めていた味とは程遠くて満たされなかった。教えておいてもらえばよかった、とも思ったが、大袋いっぱいの手羽元にひたひたにニンニク醤油が入っているのを炭火焼きする荒技は一人暮らしのキッチンではできない。炭火のグリルなんてあるわけないし、ていうかそもそもあれはみんなと食べたから美味しかったものなのだ、多分。
今はネットでいろいろなレシピが見れるから便利だ。SNSでも「(食材) 作り方」で検索すれば数多くの料理家がレシピを紹介している。例えば私がそれを作って、子どもが気に入っても、それは別の誰かが考案した料理に過ぎない。もちろんまったく問題ないのだが、もうどこにもレシピが残っていない思い出の料理に思いを馳せると、妙に特別感を感じる。
私が現時点で得意としているナポリタンを、私の手羽元に対する感情と同じように好きになって惜しむ人がいてくれると嬉しい。料理で人を幸せにするってそういうことだと思う。
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