「試験中の不正行為が発覚した場合には全ての科目で失格とする」

大学入試や大学の定期試験でこの文言を聞くたびに、私は人一倍身の引き締まる思いがする。

◎          ◎

私は中学1年生のとき、校内模試の数学でカンニングをした。分数で答えるのか小数で答えるのか分からず、隣の子の回答を見て自分の回答を分数から小数に書き換えてしまったのだ。結果的に答えは分数でも小数でもどちらでも良く、私が最初に書いた答えは合っていたので点数上の結果は変わらなかった。しかし、このことを次のテストまでずっと引きずっていた。なぜならこのテストで私は学年1位になったからだ。

2位の人とは9点差で、カンニングした問題は3点分だった。仮にそこを間違えても私が1位であることには変わりないし、何より分数を小数にしただけで答えは間違っていない。それでも、仲良くなったばかりのクラスメイトに褒められたり家族が喜んだりしているのを見ると、どうしても罪悪感だけが残った。中学受験すらギリギリ受かった状況で私が学年トップになるとはつゆとも思っていなかった家族はお祭り騒ぎだった。お祝いに家族みんなでちょっとお高い焼肉に行くことになったのだが、テストのことがふと頭をよぎる度に肉の味がしなくなった。

◎          ◎

「解答を書き換えはしたけど答えは結局一緒だったし、あの問題に関係なく私が1位。模試の点数は内申点に一切関わらないし、許されるでしょう」

そう自分に言い聞かせていたが、あるアニメを見てそう思ってもいられなくなった。主人公がカンニングをして周囲に白い目で見られる場面があり、しかもカンニングした相手の答えが間違っていてもなお家族に怒られていたのだ。

「結果の如何に関わらず、カンニングそのものが卑劣な行為」

ようやく気がついて、一気に良心の呵責に苛まれた。これはどうにかして償わなければ。けれども、どうやって?

◎          ◎

思いついたのは次のテストでわざと間違えて失点することだった。上位層では一問のミスで順位が大きく変動する。その状況で意図的に一問落とすことは私にとって非常に勇気のいることだった。

迎えた次のテストの数学。時間に余裕を残して解答を見直しながら、どの問題を間違えるか考えていた。2点分の計算問題に目をつけてわざと違う数字を書いた。その前に受けた教科の手応えが悪かったことを思い出して、元の答えに戻した。けれども、前回のテストから4ヶ月引きずってきた罪悪感を思い出してまた答えを書き換えた。テスト終了の合図まで何度も消しゴムに手を伸ばしてはやめて、ただ時間が過ぎるのを待った。試験終了の合図を聞いた瞬間はソワソワしていたが、答案用紙が回収されると一気に解放された気分だった。私は自分でしっかり罪を償った。そう思うと後の教科のテストは心が軽かった。

◎          ◎

1ヶ月後、テストの結果が返ってきた。手応えに反して意外と善戦していたようで総合点は悪くなく、学年順位は3位だった。そして気になるのは1位との差。1位は同率で2人で、点数は私と1点差だった。つまりあの問題をわざと間違えていなければ私が1位だったのだ。本来なら達成できたはずの2連続の1位を意図的に逃したようで悔しかったが、周りに祝われている1位の2人を見ているとこれでよかったのだと思えた。自らの手で罪を償うことができた気がした。

これ以降、私は正直者を貫き通した。採点ミスを見つければ例え100点でも先生に申告して減点してもらった。きっと友人たちには私がバカ真面目に見えたのだろう。

数年が経ち、時効であろう今だから言える。やましい思いをして得たものなんて、罪悪感に押し潰されて少しも満足できないのだ。