年上を過度に意識しすぎる「年齢カウンター」と距離を置けたひとり旅

目が悪くなり始めたのはいつ頃からだろう。たぶん小学校中学年だった気がする。その頃から、ぼんやりと私のメガネも色づきはじめた。
ピピピピ……。10サイデス。私の色メガネは年齢カウンターだ。この子は同い年。あの子はひとつ下。ふたつ上。瞬時に色メガネが計測してくれる。そして、私は数字の同じ人を仲間、数字の違う人を「自分と違う人」と認識する。
ここまではまぁ良い。事実だ。しかし、そこからは私の脳のクセが出てくる。年齢という共通点のある人間に対しては心を開くことができるが、数字の異なる人間に対し、どう接して良いか分からなくなるのだ。特に年上の人とは何を話したらいいのか分からなかった。
そんな私は中高生になり、運動部に入った。そこで先輩後輩という役割を担うことにより、より私の色メガネは濃くなった。といっても、先輩にいじめられたり、パシられたりした経験は一切ない。むしろ、手紙交換をしてもらったり、休日に一緒に遊んでプリクラを撮ったりする非常に良い関係性だった。
だけれども。いつの間にか「先輩は神様」的な思考が染み付いていた。先輩より早く部活に行き、準備をする。先輩が片付けていたら走って代わりに行く。先輩が卒業するときにはポスカでカバンにメッセージを書いてもらい大はしゃぎ。今思えば、「後輩」という役に没頭していたのかもしれないなと思う。
そして私は大学生になった。アルバイトやボランティア、実習等で年代の違う人と関わることが増えた。そこで気付く。年上の人との雑談ができない。何を話して良いか分からず、頭がフリーズしてしまう。相手が年上であることを過度に意識してしまうのだ。幸い、周りの人たちは優しい人が多く、いつも話題を振ってくれたり、声をかけてくれた。
しかし、自分からはほとんどアクションを起こすことができなかった。社会人になった。周りは全員年上。今まではフォローしてくれる大人ばかりだったが、そうはいかなくなった。可愛く頼ったり、日常の雑談ができない私はお局さんに嫌われてしまった。「新人らしくない」「かわいくない」言われた言葉通りだ。不器用なだけなのだが「プライドが高い」と解釈されたこともある。お局さんに嫌われた私は、負けるもんかと自分を奮い立たせた。
ピピピピ……。50代。絶対負けない、更年期お局には。そう考えた。けれど、今考えると、応援してくれる人の中にも50代の方はたくさんいた。年齢ではなく、もっと違うところに目を向けるべきだった。
そしてここ7年ほど。ひょんなきっかけから、私は海外ひとり旅を始めた。初めて行く国にぽつんと1人。私のことを知る人は誰もいない。この心地よさ。何度も行くうちに気付いた。「観光地に1人で」「30代なのに」そんな普段感じるもやもやが一切ない。
「自分はこんな人」という意識がするすると抜けていき、身体が軽くなっていく。そして、色々な情報に縛られていたことを忘れ、ただひたすらに旅と向き合うのだ。それは自分と向き合うことを意味する。何も考えずにぼーっとする。
人との出会いを楽しむ。景色に感動する。それらを通して、年齢なんて何でもないなと思うようになった。私より何歳も若くてしっかりしている子にたくさん出会った。
7つも年下の子に「Japanese girl!」と可愛がってもらった。
ひとり旅中もピピピピ……と色メガネの計測は続くが、数字を知っても「そっか」と思うだけになった。色メガネを通して見ていた世界はなんてちっぽけだったのだろうか。あのとき、あの人にこんなこと聞いておけばよかったな。最近よく思う。自分の心をしっかり持ち、年齢のせいにしない大人になっていきたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。