贅沢なミネストローネをつくり、母が怒り、狂ったように泣いたあの日

ある日、スーパーマーケットのお肉コーナーをうろうろしていると、安くなったブロックベーコンがふと目に入った。その瞬間、母親との大喧嘩を思い出して居心地が悪くなり、逃げるようにその場を去った。
小学5年生のころの私は、一時期、料理にハマっていた。きっかけは、調理実習だったと思う。野菜の油炒めにはじまり、鮭のホイル焼き、チャーハンなど、簡単なものを作っては家族に褒められて喜んでいた。
ある日、レシピ本を見ていたら、美味しそうなミネストローネが紹介されていた。「美味しそう、作りたい!」と、レシピにあった「ブロックベーコン」を買いに行った。
それは、裕福ではない家庭で育った私にとって、夢のような経験だった。普段食べていた薄いベーコンとは違い、食欲をそそられた。初めて持った時の、ずしんとした感触は今でも思い出せる。その大きさと重さがとても誇らしかった。
高揚感に包まれた私は、ブロックベーコンを丸々使い、大きな鍋いっぱいのミネストローネを作った。私は、満足感でいっぱいだった。
「え!(ブロック)ベーコンは!?」
「えっと……」
キッチンに来た母親が、ブロックベーコンが丸々消えていることに気づき、狼狽した。
私は自分の行いが悪事であったことを一瞬で理解し、冷や汗をかいた。
「全部使ったの!?ブロックベーコンは高いのに!」
数秒後、母親は私を責め立てた。他にも色々言われたが、忘れた。
私は、普段温厚な母親にブロックベーコンひとつで激怒されたことで、自分の家庭がいかに困窮しているのかを一瞬で理解した。同時に、目の前の現実を思い出した。
50歳を超えた父親が突然無職になり、毎日家でダラダラ寝ていたこと。
専業主婦だった母親が知り合いの伝手で就職し、仕事と家事に追われて毎日イライラしていたこと。
長い間離婚の話し合いが行われており、家庭の雰囲気が最悪だったこと。
そんな状況を忘れたい自分が、料理をするようになったこと。
11歳の子供にはあまりにも辛い現実だった。私は、気が狂ったように大泣きして、部屋に閉じこもった。
しばらくして、冷静になったらしい母親が、慌てて謝罪しに来た。しかし、謝罪ひとつではどうにもならないほど、私の絶望感は膨れ上がっていた。
私は母親の顔も見ずに、千円札を2,3枚投げつけた。「もうこれでいいでしょ!お金払ったら満足でしょ!」と叫び、謝罪を試みる母を無理やり追い出した。
やがて両親は離婚し、母親はたった1人で自分と妹を育ててくれた。
それから、私は多額の奨学金を借りて国立大学に進学した。惨めな私とは違い、周りの友人は全員、両親に学費を全額支払ってもらえていた。羨ましかった。友人たちは、ベーコンのことで喧嘩したことはなさそうだった。
そんな頃、"親ガチャ"という言葉が流行し始めた。私は、思わず共感して、自分を救ってくれる言葉だと縋った。"可哀想な私の人生"が報われた気がした。
しかし、それと同時に、母親への罪悪感も芽生えた。お金の面では苦労したが、愛情いっぱい育ててもらったのに、そんなことを考えてしまう自分は最低だと悩む日々を過ごした。
就職して自分でお金を稼ぐようになってからは、"親ガチャ"について考えることはなくなった。ただ、ふとしたきっかけで、自分の恵まれなさにばかり注目して落ち込んでしまうことがある。
あの夜、不器用な母親は、謝罪の代わりに、ミネストローネを大袈裟に褒めていた。
もしかしたら、ブロックベーコンを丸々使った贅沢なミネストローネはとても美味しかったのかもしれない。
もうレシピも忘れてしまったけど、今夜は、久しぶりにミネストローネでも作ろうかな。
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