幼稚園のころ、大好きだったワンピース。
上品な明るいピンクで、スカートは膝丈。
ふんわりとしたパフスリーブと、丸襟、背中で結ぶリボン。
裾・袖・襟元にあしらわれた、白い波型のかざりテープ。
あのワンピースを着ている時、私は確かに、憧れの「お姫様」だった。

お姫様にはなれないと言う彼女から逃げ、破いた自分の絵

昔から、いわゆる「女の子らしい」ものが好きだった。
レースにリボン、お花、ふりふりのスカート。シンデレラのガラスの靴みたいなハイヒールも、当時の私には憧れのアイテムだった。
なかでも、ピンクのワンピースは一番のお気に入り。『眠れる森の美女』のドレスのようにふわりと揺れる裾、『白雪姫』のドレスみたいなパフスリーブ。それを着ている私は、世界一かわいい女の子で、きっと素敵なお姫様になれると、本気で思っていた。
そんなだから、お絵かきのモチーフはいつもお城とお姫様。ディズニー映画への憧れを詰め込んで、子供らしい、可愛らしい絵をたくさん描いていた。

「ねえ知ってる? 普通の人はお姫様にはなれないんだよ?」
黙々と絵を描く私に、お姉さんのいる同級生がそう言ったのは、小学校に上がる前の年だった。
「お姫様になりたい」なんて、口に出して言っていた覚えはない。けれども、いつもいつも、飽きずにお姫様を描き続け、頑なにワンピースを着続ける私の憧れは、幼稚園児にもはっきりとわかるものだっただろう。

「違うもん! お姫様になりたいわけじゃないもん!!」
そう言って、意地悪く笑うその子から逃げ出した。
走って走って、絵本の倉庫に忍び込んで、泣きながら自分の描いた絵を破って捨てた。

歳を重ねるにつれて着なくなったピンク色。今は幸せだけど

そんなことがあったけれど、それでもピンクが好きだったし、お姫様になれると思っていた。でも、それはなんとなく恥ずかしいことのような気がして、お姫様の絵はあまり描かなくなった。

それから小学校に上がって、あのピンクのワンピースはサイズが合わず、着られなくなった。
ピンクのスカート、ピンクの靴下、ピンクの鞄……ピンクばかり身につけていた私は、ぐんぐん背が伸びるにつれ、ブルーのシャツを、緑のニットを、グレーのパンツを着るようになった。

そうして着るものがどんどん変わり、気付いたら28歳になっていた。
20年以上の時が流れ、ピンクのワンピースを着ていた「お姫様」は、黒っぽいパンツスーツを着こなす「女王様」になった。
趣味も仕事も充実していて、毎日を全力で駆け抜ける私は、我ながらいい人生を送っていると思う。

それでも、ふと、私だけがずっとひとりなんじゃないか、そんなことを考える夜がある。
結婚の報告を受けたとき、成長した子供の写真を見せてもらったとき、仕事に疲れ、ひとりベッドに沈み込んだとき――友人と自分を比べ、言いようのない寂しさに襲われてしまう。

誰かの「特別なお姫様」になりたいと思うのは欲張りなこと?

ピンクのワンピースを着ていた私は、一生懸命にお姫様への憧れを追いかけていた。
シンデレラみたいに、目の前のことに懸命に向き合っていれば、いつかお姫様になれると思っていた。
それなのに、どうして女王様になってしまったんだろう。
……私の「王子様」はいったいどこにいるんだろう。

それだけ毎日充実していれば、男なんて必要ないでしょう、なんて言われることがある。
違うのに。「もうお姫様にはなりたくない」なんて、思ったことはないのに。

守って欲しいわけじゃない。自分の足でしっかりと立ちたい。そう強く思う今でも、もう着られなくなってしまっても、私はあのピンクのワンピースが大好きだ。
「強い女」だろうが女王様だろうが、私だって可愛い服を着たい。私だって、他の友達みたいに、とびきりの笑顔で、誰かの「特別」になりたい。私だって、誰かのたったひとりの「お姫様」になりたい。
でもそれは、欲張りなことなのかな。やっぱり私には無理なのかなぁ。

ねぇ、がっかりした? 私はやっぱり「普通の人」で、お姫様にはなれなかったよ。
自嘲して、ふと、記憶の中のピンクのワンピースの私に話しかける。まだ小さくて、何も知らない、無垢だった頃の私に。

わがまま姫の言葉にハッとした。私はあなた。何にだってなれる

……無垢? いや、確かにあの頃の私は何も知らないけれど、そんなか弱い生き物じゃない。
口達者で、生意気で、自分のことをとびきり可愛いと思っていた5歳の私。「絶対にピンクのワンピースを着ていく」と朝から泣きわめくあの子は、世界一気の強い「わがまま姫」だ。

私の顔をひたと見据え、わがまま姫が口を開く。
「あなたは私なんだから、きっとなんでもできるんでしょう?」

……あぁ、言う。あの頃の私ならこれくらい絶対言うわ。
そんな想像をしたら、いろんなことが馬鹿らしくなった。
そうね、お姫様。私はあなたなんだから、なんにだってなれるわよね。
高慢ちきで、鼻持ちならないあの子に微笑み、目線を合わせて語りかける。

仰せの通りです、お姫様。おかしなことを考えるのはやめます。
自信をもって胸張って、前だけ見据えて生きてまいります。
しかしお姫様、ピンクのワンピースを着るのはちょっと気恥ずかしいのです。ですので、明日はマスクの下、お気に入りのピンクのリップを塗ることで手打ちにしてはいただけないでしょうか。
きっと、お姫様が「私もつける〜!」とかおっしゃるような、鮮やかな、桜のようなあのピンク色を。