高校の時からかれこれ7、8年、ずっと憧れている人がいた。推しみたいなものだったのだが、ふとしたきっかけから「好きだと伝えてみたかったな」「もっと仲良くなりたかったな」と思ってしまったことがある。

その時は他にお付き合いしている人がいて、特に不満もなく、この人と結婚するんだろうなと思っていた。なのに私は、それがどれだけ幸せなことか気づかないままに別れを告げ、推しを追いかけることを選んでしまった。

当時、「女は追うより追われる恋」という記事を見て、首を傾げた記憶がある。人生一度きりだし、長年の思い人に好きだと言えるならそれが1番の幸せじゃないのだろうかと、何ともまぁ理想主義的な自分の性格らしい決断だった。

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人生初めての告白の末、奇跡的に付き合うことになった。この恋を大切にしよう。そう思っていたのに、しばらくして彼からは「好きかわからない」と言われ、それからはどうやったら好きになってもらえるのかを考え続ける生活が始まった。SNSのタイムラインは、「彼が追いたくなる女の特徴10選」みたいな投稿で溢れかえることになった。

放置できる余裕をもつこと、1人の時間を楽しむこと、常に笑顔でいること、不安は溜め込まずその都度伝えること…。
どれも上手くできなくて、自分を責めてばかりいた。1人時間を楽しもうと街に繰り出してみても、頭の中は常に漠然とした不安でいっぱいで気もそぞろ。プレッシャーをかけたくなくて、会いたい気持ちも、本当は不安なことも伝えられず、それでも私なりにポジティブに振る舞った。

胸がいっぱいでご飯が喉を通らない時もあった。いよいよこれでは壊れてしまうと思い、言葉を悩み選んで不安な気持ちを伝えたのだが、なんとまぁあっけなく振られてしまった。

大失恋だった。振られた直後はどうすれば上手くいったのかを考えてばかりいたが、そのうち単に私たちが「合わなかった」だけなのかもしれないと腑に落ちた。彼が私の推しだったからこそ、対等な関係を築くのは難しかった。

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それから少しして、今の彼とお付き合いしてから、いつの間にか不安が綺麗さっぱり消えていることに気がつく。皮肉なことに、散々1人の楽しみ方を開拓したおかげで1人時間を楽しめるようになっていた。彼に会いたいと思ったら素直に伝えられるし、不安で泣いてご飯を食べられないということもなくなった。

男はメンタルが安定した女を追いたいらしい。けれども今の私のメンタルが安定しているのは、今の彼が与えてくれる安心感の賜物なのだと思う。

「夏には一緒に花火大会に行きたいね」

何の気なしに発せられた彼の言葉に、私は泣いてしまった。この人の未来に私はいるんだろうか?と不安になることもない。「私が頑張らなくちゃ」「求めちゃいけない」という緊張感が、今の彼の優しさに触れるたびに溶けていく。

さりげない一言にも「ちゃんと愛されているよ」って心がほっとして、涙が出てくるのかもしれなかった。追われる幸せってこういう温かい気持ちのことを言うのかな。

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もし推しとの恋に悩みに悩んだ私がいなかったら、この幸せも当たり前のことに感じていたかもしれない。だから今は、全ての出会いと、それに真剣に向き合ってきた私自身に感謝している。

最初から目の前の幸せに気づけていたら誰も傷つけなくてすんだのにと申し訳ない気持ちはあるけれど、それは今だから言えることで、当時の私にいくら言っても響かなかっただろうな。