1年後か10年後なのかは分からないけれど、必ず暗闇は明けるから

手元にある一枚の診断書を眺める。やっとこの苦しい気持ちに病名がついた事実にホッ……としながらも、「精神障がい者」という枠に入ってしまった複雑な気持ちになった。ああ、わたしはこんな所でも偏見を持っていたんだな……と身をつままれるような気持ちで。
何もできなくなった。天井を眺めながら、自分の情けなさに、不甲斐なさに、支えてくれている人への申し訳なさに涙を流した。重力がわたしの周りだけ10倍にも100倍にも感じるくらいに身体が重たい。動かないといけないのに、働かないといけないのに、気持ちが焦れば焦るほど身体は動かなくなった。何が原因なのか、分からなかった。ただ、一生懸命に生きてきた結果がこれだ。人が怖い。電車に乗れない。ふらっと消えたくなってしまう。みんなが、そんな思いを抱えて生きているのだと思っていた。どうしてわたしだけ頑張れないのか……と、自分をどんどん責めた。自分をたくさん憎んだ。その結果が、これだ。
身体からのSOSは出ていた。急に眠れなくなって、食べれなくなった。片耳が聞こえなくなって、毎日胃薬も頭痛薬も手放せなかった。おかしかったはずなのに、それでも「休む」という選択肢を取れなかったのは何故なのだろう。どうして罪悪感を持ってしまうのだろう。「なにもしていない自分」を肯定するのは難しい。心療内科に通って、毎日自分を褒めましょうなんて言われても、どこをなにを褒めれば良いのかわからなかった。「生きているだけで花丸」そんな言葉は、なんの慰めにもならなかった。だって、生きているだけでお金はかかるし、働かなければならない。「なにもない」その事実がとても怖くて、社会から断絶されたような気持ちで、毎日泣いていた。焦って面接に行っても、それだけでクタクタになってしまって、倒れる日々。全てが空回りで、一度わたしは生きることを諦めた。
それが、約5年前のこと。今は薬を飲みながら、働くことができるようになった。こうして、文章を書くことで、自分の中にある気持ちを客観視できるようになった。波はあって、落ち込むことももちろんあるけど、確実に世界は明るくなった。
だからこそ、今だからこそ言えることがある。書けることがある。焦らないで欲しい。今は真っ暗でも、必ず光が見える時は来る。それが1年後なのか10年後なのか、分からないけれど、必ず暗闇は明ける。「休むこと」それは、逃げでもなければ、恥ずかしいことでもない。世間から冷たい目で見られても、家族から、知り合いから理解を得られなくても、自分を守れるのは自分だけなんだ。「あなたのためを思って言っているのよ」その言葉は、卑怯だ。言うだけ言って、わたしの人生には何の責任も取ってくれないのだから。だから、だからこそ、自分の心に耳を傾けて欲しい。何もしない日があっても良い。休んで良い。休むことに許可も理由も必要なんてない。休むことがどれだけ勇気が必要なことか知っているから、それを、その選択をしたあなたを、わたしは心の底から褒めたいと思う。画面の向こう側で、思いっきり抱きしめながら。
生きているだけで良いなんて、そんな無責任な言葉は言えないけれど。でも、これを読んでいるあなたに、わたしはやっぱり生きていて欲しい。そして、あの時苦しかったな……なんて、いつか笑い話に出来たら良い。
今、仕事が辛くて休むか迷っている人に、この言葉が届きますように。生きづらい世の中で、それでも苦しみながら生きているんだからさ。すごいよ、すごいんだよ。大人になると褒められる機会は減ってしまうから、自分をたくさん褒めて欲しい。仕事に行けても行けなくても、あなた自身の価値は変わらない。わたしも自分にそう言い聞かせながら、毎日を一生懸命に生きている。
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