私の宣言は過去からの脱却である。

私は東日本大震災発生時、福島県浪江町に住んでいた。当時小学1年生の終業式を終えて帰宅した時に被災した。家族が全員無事であったことが幸いであったが未だ生活拠点は避難先である。

インフラが全て停止して食パン1枚を半分にして母と過ごした夜を忘れることはない。孤立した私の町は原子力発電所の事故すら知る術もなかった。カーナビに付属したテレビでみた時の衝撃が鮮明である。

あまりに悲惨な出来事で、乗り越えたというよりかは慣れてきたという感情が近い。

Xを見ると、能登の震災で家族が避難しない選択を曲げずに説得できなかったとの声があった。

私は津波を見に行った祖父を思い出す。私は幼かったため憶測でしかないが、その土地と共に生きる決意のようなものが固まっていることで頑なになってしまうと感じた。

祖父は津波の被害に遭ってないが同じことを繰り返すと思う。祖父の想いは強く、被災地にある自宅の管理を月に何度も欠かさず行なっている。

被災地の復興への道のりは遥かに長いものであるが、再生までの道のりは確かに着実なものである。

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私の宣言は1月7日に控える成人式に参加することだ。加えて、自分の被害者意識を捨てることである。

式は本来の故郷ではなく避難先で参加する。通っていた小学校は3年前に解体されてしまった。会いたい友達がいたが、あまりの長い月日で皆生活拠点を変えてしまった。

私たちの世代は浪江町で過ごした時間のほうが短いため、この先も従来の参加者数を取り戻すことは難しいと思うと胸が痛む。

本来の故郷ではない場所で参加することに複雑な心境である。

私の根底には、震災に遭って被災者となった経験が根強く残りすぎているのではないかと思う。私はいつまで緊急地震速報が鳴ると怯えて動けずに、家族に電話して慰めてもらうのか。本当に情けないと思う。

私の人生は今まで何か困難に遭ったらそれでおしまいであったように思う。乗り越える方法を知らないのだ。乗り越え方を知らない人生はとても虚しいものだ。

そして幼い頃は良かったとすがってしまう。自分ではどうしようもない出来事と決めつけて昔話に浸ることしかできない。

充分に救われたのに自分が1番の被害者であるかのような気持ちになってしまうことへの恥ずかしさや後ろめたい気持ちを変えたい。

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現在に焦点を当てるために時間を費やしすぎてしまったように思う。

この経験は私を強くさせたものでなければいけないし、綺麗事かもしれないが守る側に回らなければならないと自覚した。

成人式を迎える今、遠く離れていても私のことを支えてくれた人たちがたくさんいたことを忘れずに今ある環境を大事にして生きていたい。

怖くてもこの出来事に向き合うためには文字にして表現することが乗り越えることの第一歩だと感じた。暗い幕開けとなった2024ではあるが、どうか新年にこだわらず、毎日の連続や繋がりを重視して過ごして欲しい。
最後になりますが、今回の地震で被害に遭われた方々の安否と一刻も早い復興を願っています。