有事に、利用者さんの命を守る。自分の仕事の大切な義務を感じた

2011年3月11日東日本大震災が起きた時、私は大阪にいて普通に授業を受けていた。
当日、先生が少し揺れてないかと尋ねて、「揺れている」と答えた生徒もいれば、「揺れていない」と返事をする生徒もいた。私はその時、東日本で大変なことが起きているとは知らなかった。
家に帰り、いつものようにテレビをつけると、どの局も地震の様子をリポーターが伝えていた。津波の映像や、家が崩れた映像などが流れた。その時の私は、地震には興味がなく、地震が原因で無くなった大好きなテレビ番組のことをグダグダ言っていた。
次の日、学校でその大震災について議論した。議論のきっかけは、先生の「関西の電気を節約して使用量を減らし、被災地である東北に電気をほぼ全て送る」という発言だった。生徒からは「ゲームができなくなるから嫌だ」という意見もあれば、「大変な状態の人のためなら仕方がない」という考えの人もいた。
議論の翌日、たくさんの生徒が親と電力について学校で議論したことを家族で話した様子で、先生に「関西の電気のほとんどを東北に送ることは無理だよ」という内容を言っていた。
私はその当時は、「先生が発言ミスした」と思っていた。しかし、今思えば「先生の発言のおかげで考える力を育むことや時事に興味を持つきっかけを与えてくれた」と思っている。震災の被害を直接受けていない私は、学生の時は授業で映像を見るくらいであまり深く考えなかった。どこか他人事で避難訓練もそこまで真剣にしたことはなかった。
私は社会人になり、今は障害者施設で働いている。働き始めて1年目のタイミングで能登半島地震が起きた。ちょうどテレビを見ていて、建物が揺れているのが分かり、何か能登半島の人のためにしてあげたいと感じた。そして何ができるか考えてみた。
初めは、現地に行ってボランティアとして動こうなど考えたが、混乱しているところに私が行っても却って邪魔なんじゃないかと思った。結局、読まなくなった本を古本屋で売り、その売ったお金を能登半島地震に募金して終わった。
能登半島地震があった月の職場のミーティングで、能登半島にある障害者施設が緊迫状態で、誰かボランティアに行ける人は社長まで言いにきて欲しいと伝えられた。私は、障害福祉施設で働いて数ヶ月の状態で、行っても何も役に立たないのではないかと思い、手を挙げなかった。結局、先輩が手を挙げて行くことが決まった。
この会議の一件で、私の今の仕事は無くならないと感じた。もし、今の会社が潰れるとなれば、通っていた利用者さんの行き先がなくなり、混乱を招くことになる。能登半島地震のときも、職員も大変な思いをしていたけれど、利用者さんのために仕事をしていたのだと想像できる。
会議でも、救急セットや防災セットなど、どこにあるかを確認し、グループワークなどで様々なシミレーションを想定して案を出し合った。
自分の命も大事かもしれない。でも、利用者さんの命も大切で、最善を尽くして障害福祉の現場を守る義務が私たちにはあると思う。
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