私が高校生の頃、友人を傷つけてしまったことがあります。

当時私は正直言ってあまり友人がいなく、自分が周りに悩みを言うような性格ではないのも相まっていわゆる人生相談や恋バナなどの「相談」を受けた経験が全くありませんでした。なのでもし「相談」を受けたらこう言おう、こんな風に返したら上手く励ませるのではないか、でもこう言われたらどうすれば良いのだろうとあるかないかわからない物を想像していました。

私に相談する人なんてまさかいないだろうと諦めながらも不謹慎にもちょっとした期待をしていました。

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そしてある日、放課後家に帰ってからいつも仲良くしてる人たちと通話をしていたら、たまたまその内の一人と二人きりになることがあり、その時でした。今までこっそり想像していた状況が現実になりました。

それは大変急な事でまさに青天の霹靂とでも言うようなものでした。頭が真っ白になり今まで考えていたはずのことが全て飛んでしまい、正直最初の方はあまり頭に入ってこなかったと思います。

友人は学校の友人関係のことで悩んでいました。その友人は仲良しのメンバーの中の一人にとても不満があるようでした。具体的に何が嫌だったのか聞いたのですが、一つの大きな不満というよりかはいくつもの小さな不満の積み重ねがもう耐えきれない様子でした。

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友人は私に打ち明けるまでとても悩んでいたそうで、相反する気持ちの中で苦しんでいました。一つはもうこれ以上あの人と関わっていたくないという切実な気持ち、もう一つははっきりと関係を絶ってしまって終わらせたいという気持ち。

私はまだ相談されたということに酔ってしまっていたので、友人の苦しみに値しない程軽い気持ちで「きっと言ったほうが良い、やる後悔よりやらない後悔」だ、と言いました。

友人はそれを聞いて私の言った事をまるで自分に言い聞かせるように復唱していました。

その時は「言ってあげた」と思っていました、上手く励ませたのだと変な高揚感に襲われてもいました。それが「言ってしまった」のだと、友人に対して全く誠実に対応してはいなかったのだと気づいたのはそれから少し経ち、友人が相談内容を実行した時でした。

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それからいつもの事であったはずの事がいつもの事ではなくなりました。そこでようやく私は大変な事を言ってしまったのだと後悔しました。

特に考えずに言ったことが後押しになって人の関係を崩してしまったのです。こんな気取った言葉よりも共感の言葉や励ましの言葉をかけていたら、友人たちは仲直りできたのかもしれないと考えずにはいられませんでした。

次があるかはわからないし私がした事は取り返しのつかない事ですが、もし次があるのならば、相手の苦しみや悩みに値するように深く考えて言葉を言おうと思います。

なので「やらない後悔よりやる後悔」という言葉は、一般的に行動を促すポジティブなメッセージとして広く受け入れられていますが、それとは裏腹にひどく無責任な一面も内包する言葉だと私は考えます。