もう2年以上前なのか。休職当初のことを思うとこんな言葉が出てくる。

私は当時、新卒入社からまだ半年程度で、実家から会社に通っていた。父、母、妹と暮らしていた。そんな私にとって、休職が決まったときの心中は、意外に思うかもしれないが、「孤独」だった。理由は、家族、身近な人の存在が、私にとっては気を使うものであったからにほかならない。

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当時の私は無意識に両親、とりわけ母にどう思われるのか、ということを気にしていた。母は、心配性でイレギュラーなことが起こると動揺するタイプ。私とは、真逆だ。私が休職するなんて言ったら、また動揺するだろう。父はずっと仕事で家を空けることが多く、どんな考えをもっているのかすらよくわからなかった。ただ、気難しい人であることに間違いはない。

案の定、私の休職が決まったとき、母は泣いていた。父はどう思っていたのかやはりよくわからなかった。妹は、私の様子が数ヶ月前からおかしいことに戸惑っていた。

私は、家族に迷惑をかけてしまうのが申し訳なく感じたし、そんな自分が嫌だと思った。

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私がこんなに特に母を中心に身近な人の目を気にするのかというと、それは経験と性格、環境が相互に絡み合った結果だと思っている。

私は中学生のときにいじめにあっている。過激ではなかったが、陰湿だった。自分が軽視される感覚や惨めな気持ちを味わう辛い日々だった。

それと同時期に家庭環境にも影を落とすような出来事が起きた。詳細は割愛するが、それをきっかけに母は以前よりもピリピリするようになった。私がきつく当たられる事もあった。以前はのんびりしていて穏やかだったので、けっこう衝撃を受けた。自分が思春期に差し掛かってきたからなんてレベルではなく、これをきっかけに自分の悩みを母に相談するハードルが以前よりも一気に上がった。家族が、「頼れる存在」から「気を使う存在」になった契機だった。

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そんな経験を経て自己肯定感は下がり、「自分はだめな人間。人が怖い」という土台が出来上がった私は、休職するまでの間、自分を殺し、人の目を気にする人生を送ることになる。服装とか振る舞いも浮かないことをひたすら心がけるようになった。

高校は、勉強に力を入れている学校で、その出来で評価されることが多い環境だった。だから、一緒に弁当を食べる友人などはいたものの、やはり人間不信ゆえの壁があった上、勉強が中心にはなってくるのであまり自分の心や人間関係まで気を回せないな、と薄々感じていた。「当たり障りなく」という言葉が最もしっくりきた。

大学は、それぞれ色々なことに夢中になっている姿に眩しさを感じ、自分の評価がどんどん下がった。相変わらず、表面的には人と接するもののやはり内心他人が怖いと思う気持ちを拭えなかった。就活をすれば、色々な側面で自分を測られているように感じ、とても苦痛だった。面接の結果云々以前にそのシチュエーション自体が苦手だった。

何をしても自分そのものがだめ、そういう気持ちが先行するのをどうしても止められなかった。私のもともとあった案外気にしやすい性格も、加速度的に自己肯定感を下げるのを後押ししてしまったように思う。

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物事の捉え方は、日々起きたことをどう解釈していくか、その積み重ねだと思う。そこにもともとの個性や置かれている状況が反映されていくのではないだろうか。ただ、一般的に考えてあまりにもマイナスなことが続くと、これから先の未来も同じ状況が続いていくのではないか、という考えが頭をよぎるようになるような気がする。

休職前の私は、「これからも嫌なことが続くのだ」と思わずにはいられなかった。

「休職」という選択をしてみて、このまま負の状況が地続きになっていくんだという思考を一旦見直すことができたように思う。少なくとも、私の視野や考えの裾野が広がったことは間違いない。それまでは立ち止まる選択自体、周りの人にどう思われてしまうのだろう、という考えに支配されていた。でも、実際は離れてみないとわからないこともあると思った。「一番怖い」と思う選択こそ自分にとって必要なものだったりする。

私にとって休職は、自身の価値観や考え方を見直すきっかけだったのだと思う。

これからは、気にしやすい性格を受容しつつ、自分の感情や気持ちを大切にして、少しずつ前向きな人生を歩んでいきたい。自分の人生に幸あれ。