私が医者として働いて数年経つ。今年、3か月間の休職をした。休職に至った諸々の理由の根源は、ずっと過去にさかのぼる。
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幼少期から、「サイエンス」よりも「アート」に興味があった。科学技術や自然の原理に目を見開いて感動するいわゆる「リケジョ」では全くなく、歴史や文化に触れ、泥臭い人間の営みのロマンを感じているほうが好きだった。
ただ、「サイエンス」が好きな母は私を理系に進めたがっていた。高校の進路選択ではそれを感じ取り、「将来の選択肢が広そう」と理由をつけて自分を納得させ、理系を選んだ。
勉強にまじめに取り組み、それなりの高校生活を過ごし、大学生になった。私のいた大学は、入学後に学部を選択できた。授業をさぼる、なんて大学生にありがちなことは決してせず、良い成績を取った。農学部への進学を考えていたが、母は成績が良かった私を見て、医学部へ行かせたがった。泣くほど大もめした。医者になる気なんて1ミリもなかった。でも、目立った反抗期のなかった私は、隠れて農学部に進学するとか、はたまた家出するとか、そんな頭はなく「自分が思いもしなかった道を選ぶのも面白そうだ」とまたもや自分を納得させて医学部に進学した。
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幸い医学部では友人に恵まれ、楽しい時間を過ごせた。ただ、医者になることを全く考えていなかったのに医学部に入ってしまったことで「医者になりたい理由」を周りに堂々と言えないのがずっとコンプレックスだった。
就活や国家試験を乗り越え、やがて実家を出て働きはじめた。こんな私だけど、昔から目の前のことに対して精一杯頑張るまじめな性格だ。患者さんの安全を第一に、失礼のないように丁寧に仕事に向き合ってきた。それでも、親に反抗できなかったから医者になってしまった自分を恥じた。
同僚や上司は医学・医療を本当に愛していた。私もがむしゃらに食らいついたが「この仕事に対して周りほどの情熱を持てないかもしれない」という思いが日々頭をもたげた。「自分が本当にやりたいこと」よりも「やらなければならないこと」にとらわれている閉塞感が増していった。
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そしてその日は急に訪れた。
仕事中に突然、何のために頑張っているのか分からなくなった。
そのまま私は休職することになった。
復帰した今となっては、必要な期間だったと思う。休職中にいろんなことを始めた。昔から興味のあったホームレス支援のボランティア、語学の勉強、そして医学書以外の読書をたくさん。友人や恩師に私の状況を話すこともあった。こうして自分を見つめなおすと、私は環境問題や貧困問題などの社会課題の解決に興味があり、「当たり前の生活を当たり前に享受できる社会をつくる手伝い」がしたいのだ、という気付きを得た。親の人生ではなく自分の人生だ。自分のなかの「面白そう」「やりたい」に素直に生きてみよう。そう思えた休職期間だった。
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一方で「自分のやりたいことに素直に」ということの難しさも感じる。他業界の仕事を調べ始めたばかりだが、ビジネスや社会のことが全然分からない。アラサーの医者が「医者じゃない仕事をしたい」と言うことに世間の人はどう思うのか正直怖い。「やりたいことを仕事にできている人なんて少数派」「医者というステータスがあるのに、それを捨てて何で今更」そんな非難の声が聞こえてきそうだ。私自身、医者としての自分に誇りもある。今までの仕事が無駄だったとは思えないし思いたくない。私なりに頑張ってきた証として、専門医の資格をとるまでは続けよう。こうしてすっぱりこの仕事をやめられない。それもまた「こんな医者に命を預けるなんて」「中途半端だ」と言われそうだ。
私と同じような境遇や考えの人はいるのだろうか。そんなことをぐるぐると思い続けながら、今日も病院へ向かう。