姉の話をしようと思う。
姉は本当にマグロみたいな人で、動いていないと死んでしまう。今も3人の幼い子供を育てながら、保健師としてフルタイムで働く日々だ。「忙しい、忙しい」と言いながらも、今の姉は幸せそうだ。それを見て、私は本当に良かったと心から思う。

姉は高校1年の時から15年近く摂食障害を患っていた。170センチなのに、体重が40キロ切っていたこともあるし、本当に命の危機だったと思う。基本的には過食嘔吐の時期が長かった。大量に食べて、吐く。私は側でそれを見ていた。

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我が家は親が厳しかった。

父はよくキレた。しかもキレる理由がよくわからなくて、今思えば虫のいどころの悪い時にキレていたという印象だ。私たちは父がキレる理由を体系化しようとしたが、無理だった。時にはトイレの戸棚が開いている、そんな理由でキレる人だった。

商売では大成功していたから、本人は鼻高々で、周囲のうまく行っていない人を馬鹿にしていた。それでも、自分が高卒で商人なことにコンプレックスがあったようで、子供たちには高等教育を受けさせようと躍起になった。自分よりも高尚な職業についてほしい。そのために早慶は絶対に入れ、そういう圧力を受けて兄、姉、私の3人兄弟は育った。

母も母で、子供に無関心で、風邪をひいてもなかなか気づいてもらえないくらいだった。
高圧的な父と無関心な母、なかなかの組み合わせだった。

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そんな我が家に目に見えてほころびが出てきたのが、姉の摂食障害発症だった。はじめは過度なダイエットから始まって、拒食症になった。そのうちに過食嘔吐に移行していった。

食べては吐きしてる姉に、父が言い放った言葉が忘れられない。

「そんなに食ってばかりいたら、食道がんになるぞ」

そんなんで、治るわけがなかった。

姉が高校1年の時、兄が早稲田大学に合格した。

姉の成績は芳しくなかった。結局、姉は東京の短大に入った。厄介払いのように家を追い出され、病気は悪化するばかりだった。姉のいる東京の家によく遊びにいった。姉が大量に作るご飯を分けてもらうのが楽しみだったのを覚えている。

私は私で、勉強に励んでいた。高校2年になる頃には、成績がグングン上がった。私は一浪の末、慶應大学に合格する。

その時の姉のショックはいかほどだったか。おめでとうとケーキを買ってくれたけど、本当は辛かったはずだ。

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早慶に入れないようじゃ何をやってもうまくいかない、そう言われて育ってきたのだ。姉だけが父の期待に応えられなかった。本当は姉が1番親の期待に応えたかったはずなのに。
でも、蓋を開けてみれば、なんのことはない。今、立派に社会生活を送っているのは姉だけなのである。兄は早稲田に入って早々にひきこもりになった。私は私で双極症を発症して、いまだに無職だ。

姉はそれから頑張った。理学療法士の学校に入り直して、病気を抱えながらも、資格を取得した。その後、看護学校にも通って、看護師の資格もとった。看護学校の1年目に旦那さんと出会って結婚する。そして、長女を授かった。1年休学して、長女を出産。復学後も母親業と学業、二足のわらじで頑張った。

そして、長女の出産の頃には摂食障害は完全に治っていた。私は自分の姪である、姉の長女に本当に感謝している。姉を立ち直らせたのは、彼女の命だと知っているから。

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その子も今では小学5年生である。勉強は苦手みたいだけど、図工と水泳が好きで、毎日元気に学校に通っている。次女と三女も生まれた。まだ5歳と4歳で、手がかかる一方だけど、姉は楽しそうに子育てしている。たまに遊びにきてくれるが、大人に忖度せず、言いたいことは言う子供に育っている。

忙しさに目が回りそうな日々だけど、姉は今までの人生で1番幸せそうだ。心から嬉しく思う。よくここまで来た。姉は私の自慢だ。