あの海を忘れなければ、わたしはまた1匹の生き物に戻ることができる

旅に出るなら夏だと思っていた。
2年前の夏、10日間の旅に出た。何となくの旅程は決めていたけれど、ただゆらゆらとたゆたうだけの旅だった。
東京の家を発って、伊勢から大阪徳島香川岡山そして京都まで。青春18きっぷを使ってローカル線に揺られていった。荷物はリュックに背負えるだけ詰めた。東京で着ているような華美な洋服は置いていった。7月のよく晴れた暑い日だった。
旅にも慣れてきた3日目。わたしは初めて瀬戸内の海にきていた。最寄り駅から山ひとつ越えたところにある、瀬戸内海のウユニ塩湖と呼ばれている場所だ。この旅で必ず立ち寄ると決めていた海だった。
青々とした山に囲まれる白い砂と透き通る海。その果てに続いていく空と大きな夏の雲。
すべてが初めて出会う景色のはずなのに懐かしい匂いがした。ずっと夢の中に居るような気持ちだった。
この旅に出るまでにわたしは大学を辞めることになり、将来の選択というものを迫られ、人間関係というものも煩わしく感じていた。東京の雑踏の中で人間のフリをすることに辟易としていたのだ。
けれどここにあるのは煩わしさと切り離された海だけ。その海にいるわたしはただの1匹の生き物なのだとその時感じた。
どこにいてもこの海を忘れなければ、わたしはまた1匹の生き物に戻ることができる。そう思えば生きていられる。今も。
2年経ち、色褪せ始めたあの旅の思い出の中で、今でもあの海だけは透き通っている。
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