顔がほころぶ。なんて長閑で、柔らかい空気の島なのだろう
4年前のときめきを、忘れたくない。坂道を自転車で下ると、耳元で鳴る風の音。弛むことなく刻み続ける心臓音を急に確かめたくなって、深夜、そっと胸に手を当てる。
一人旅を思い立った私は、香川県に属する豊島に向かっていた。瀬戸内海の東部をフェリーの白波が切り裂いていく。初めて行く場所だ。たった数人しかいない船内を見て、本当に目的地が合っているのか戸惑った。
朝日を頬に受けながら、豊島の家浦港に到着。10匹ぐらいの猫が走り寄ってきた。私の膝に肉球を押し当てる姿に驚きながらも、やっと顔がほころぶ。なんて長閑で柔らかい空気の島なのだろう。
早速、島内移動のために電動自転車をレンタルした。上り坂を漕いでいると、すれ違った方に「芸術祭終わったから何もないでしょう?」と言われた。
仰る通りである。2月、瀬戸内国際芸術祭のシーズンは終わっていた。芸術祭期間中ならば盛況なのだろう。観光客の少なさはフェリーが証明していたのだ。
現実逃避のため離島を検索。不思議な魅力に惹かれた、豊島の美術館
私は旅先の文化に触れることで、常に色眼鏡を外したいと思う。自分の細胞の新陳代謝を高め、新芽を育てるように発想するエネルギーをもらいたかった。現実逃避ができる場所を求めて離島を検索した時、不思議な魅力に惹かれたのが、豊島にある美術館だった。
青空と瀬戸内海の青色は、水平線で縫い合わせられ、同じ色に染まりそうだった。自転車で、車道を彗星の軌道のように下っていく。カーブを止まり切れなかったら、ガードレールを飛び越えて海に落ちてしまうかもしれなかった。現れた白いコンクリート造りの建物に、私は息を飲む。
豊島美術館は小高い丘に造られた巨大な美術館で、作品は1つしかない。それが「母型」だ。
信じられないほど広い空間だった。冷たいコンクリートでできているのに、壁も天井も曲線で描かれ、優しさで溢れている。開口部からは光と木々のさざめきがこぼれていた。足元からは小さな水滴が次々と吹き出し、ころころと転がってどこかへ吸い込まれていく。なぜか丸い水滴たちが涙に見えた。
気づけば私はずっと涙が止まらなかった。美術作品を見て、人生で初めて泣いた。
「私はわたしでいていい」と言われている気がしたから。架空の母である「母型」中にいるとして、苦しみも悲しみも、全てが受け止められていると感じる。何もかもが許されたようで、時間を忘れてこの作品と佇んでいた。
こんなにも壮大な作品を、島につくろうとした作者に思いを巡らせ、本当に豊島に来て良かったと思えた。
ここで録音すれば、本物の「生きていた記録」になるに違いない
実のところ、アクセスには新幹線で4時間、フェリーで30分要した。しかし、その時間さえ作品の価値を創出している。島を取り巻く風景も作品が抱き込み、ここにあるからこそ作品は孤高でありつづける。もう一度見たいと願われ、人々に愛される作品が生まれていること。それは創作のあるべき姿に感じられた。
帰りに立ち寄った「心臓音のアーカイブ」という作品があった。録音された、かつての観光客の心臓音が部屋の中で響き渡っている。子どもの心臓音、大人の心臓音……丹念に聞くと皆異なっていた。ここで録音すれば、本物の「生きていた記録」になるに違いない。
生きている間に何か記録したいな、と考えさせられた。たった1つの後悔は、急に恥ずかしくなってしまって録音しなかったことだ。また行きたいと何度も思った。どうかあの時と変わらずにいてほしい。
私は布団の上で、心臓音から作品を、豊島をアーカイブする。