考えて感じてもらうことの必要性。伝え続けることの意味を知った

今日は、10月にゼミ研修で訪れた仙台の話をします。
曇天の中私は「みやぎ東日本大震災津波伝承館」を訪れました。
目の前に、津波の被害を受けた石巻市震災遺構門脇小学校が残されているこの施設からはその名称の通り「伝承」の重要性や意味を考えさせられました。
まず、簡易シアターにて東日本大震災当日の様子を時刻や人の流れ、また実際に目の当たりにした方の証言を基にドキュメンタリータッチの映像が映し出されました。そこでは何度も「逃げる」というワードが出てきました。題名は「くり返さないために」。
次に、解説員の方から展示物を解説していただきました。最初に皆さんは当時何歳でしたか?と質問を受け、2011年3月11日を想起しました。
私は当時小学2年生、終業式の日でした。
帰りの会の途中、大きく教室が揺れ、左壁の近くにあった水槽が見たこともないほど揺れました。水槽近くの生徒の持ち物には水槽の水がほとんど落ちるほどのもので、すぐに机の下に避難し揺れが収まるのを震えながら待ちました。
揺れが収まった後、担任の指示で避難訓練通り、校庭に移動し保護者の迎えを待ちました。隣で友人が、「親は大丈夫か」と泣き出しこれはただ事ではないと2年生ながら思ったことを鮮明に覚えています。小学生時代の記憶は今となっては眠っているものの方が圧倒的に多いですが、この日の情景は今でも鮮明に思い出せます。
私が自分の当時の状況を回顧していた反面、九州出身の先輩方は影響がなかったことからあまり覚えていないと言っていました。
発生から1年と少しになる能登半島地震も、関東地方にいた私や友人には能登半島ほどの大きな影響はありませんでしたが、該当地域にお住いの方には多大な被害があり、日本国内だけ見てみても、皆に平等に降りかかるわけではない災害は余計に苦しいのだと思います。もちろん、被害のない地域や人がいるからこそ支援が可能なのだとは分かるのですが当事者の立場に立って考えるとやるせない思いがあります。
この施設は悲惨な当日の状況を伝えるだけにとどまらず、今後発生する可能性のある地震や津波による被害を減少させるために伝えていました。説明の途中に、この施設の壁、6.9mという高さは、当時この地に襲い掛かってきた津波の高さと同じものと説明がありました。実際目の前にしてみるとこれは逃れられないなとその恐怖を視覚的に体感しました。
案内人の方の言葉の端々から、繰り返し伝えても、100パーセントは伝わらない上に、皆きっと忘れてしまうと分かっている表情でした。ただ、今こうして私達ゼミ生が訪れて当時を思い出し、またその対策について考えてくれることが嬉しいとも仰っていました。
実際、私は日々生活する中で、災害のことを忘れる瞬間があるのだと思います。それは悲しいことでもありますし、反面日常生活を送るために、意識を遠ざけるを得ないのかなとも思います。ただ、こうした機会に思い出し考えることで考えや思いが重なり、もし自分が災害を目の当たりにした際に、先導していかなくてはならないと強く感じました。
「伝える」については永遠に考え続けるテーマなのだと思います。また、それは今回のように1度では難しいけれどもそこで嘆くのではなく何度も繰り返し、その都度考えて感じてもらおうとすることが伝えるための姿勢の第一歩なのでしょう。
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