石巻に親戚が住んでいることもあり、東日本大震災が起こったときの戸惑いはすごかった。

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当時中学生の私には想像を遥かに超える事実が次々に耳に入る。たとえば親戚の友人が津波で亡くなったとか、自宅が浸水してその一階部分に泥棒が入ったとか、いつも遊んでいた公園が仮設住宅だらけになったとか。全て知っている場所で本当に起こっていることなのに、どこか遠いところの話のよう。せめて自分たちにできることをと、母と一緒にいくつかのブログに載せられている避難所名簿と行方不明者の名前を照らし合わせて捜索活動に取り組んだ日もあった。そうして実際に手を動かしてもなお、それはそれでゲームの世界に触れているような感覚。震災にまつわる様々において、義務的に悲しもうとするだけしかできなかった。どんなに悲惨な状況かは理解できているのに実感と感情がリアルに追いつかない。そんななか、祖母のとあるエピソードだけは自分なりに感じ取ることができた気がした。

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「カレーを作っていたらぐらっと揺れて、キッチンに立ち続けられなくて、ここからあそこまで飛ばされたの。それを忘れないようにね、毎年3月11日にカレーを作るんだ」

カレーという強い香りの記憶が、ない記憶に揺さぶりかける。想像の中で…私はカレーを作っている。孫たちがたくさん食べられるよう、いつものように大きなお鍋で。すると突然大きな揺れを感じる。ずぅんずぅんとした大きな横揺れを感じながらなんとかコンロの火を消すけれど、次の瞬間には体が揺れに耐えきれず、キッチンからテーブル側に体が投げ出されるように床をすべり転ぶ。鍋は音を立てて床に落ちて、カレーもこぼれている。揺れがおさまるのを待ちながら、こぼれたカレーを見つめる…。

この話を聞いたとき、感情が追いつかないほどの大災害をそっと、しかししっかりと悲しむことができた。普通の生活の中で発生した突然の悲しみ。カレーという身近さが私の生活と重なって、初めてあの日々と目を合わせて向き合えた気がした。

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数年後、実家を出て一人暮らしを始めた頃は自炊もままならない日々を続けたけれど、今はもう結婚もして、それなりにキッチンに立つようになった。今こそ、3月11日にはカレーを作りたい。この日にカレーを食べるというアクションは実家にいたときにも数年は意識がされた記憶があるけれど、気づけばなくなっていた。

このエッセイテーマを見た時に、今の私がこれからもできる向き合いは、あの日とあの感情を忘れないためにカレーを作ることだと思った。あの日なにが起きたかは話せても、結局聞いた話でしかないからわからない。一緒にカレーを食べることになるであろう夫も、同じくわからない。もしかしたら家族が増えたら、彼ら彼女らはもっとわからない話だ。でもカレーを通じて、自分がたまたまいなかった、想像もできないようなあの日の出来事を、あの日祖母が食べられなかったカレーを想像することはできる。これを我が家の文化にしていくことが、あの話を聞いた私の使命。