何を「すごい飯」と言うのかは、この飽食の時代ではかなり人によって定義が異なるのではないかと思う。
私にとっての「すごい飯」は……食べること全般、食べること自体が「すごい飯」だ。
と言うのも、私は10年ほど摂食障害を患っており、今もまだ精神神経科で治療中の身だからである。

摂食障害で入院。太るための食事は苦しく悲しい作業だった

一言で摂食障害と言っても、その病状には様々なタイプがある。
過食だけを繰り返すタイプ、ひたすら食を拒む拒食タイプ、または過食してから嘔吐したり下剤を乱用し、自力排出するタイプ。さらにはその混合型などなど多岐にわたる……と、主治医たちに教わった。

主治医「たち」と複数形で言うには理由がある。私がこの病気になってから10年近く経つ間に、15人の医師が主治医として交代したからだ。
ちなみに私の場合、摂食障害のタイプを分けるならば純然たる拒食症になる。食を拒み、それが慢性化し栄養失調状態に陥る。何度か心肺停止寸前で救急搬送された。そのまま入院し、退院。それを繰り返した時期があった。

入院中に私に課せられる仕事は、ひたすら食事を――「すごい飯」を残さずに一日三回、完食すること。そして太ること。
それは拒食症の私にとって、かなりつらい仕事だった。時には食事を拒否し、強制的に点滴を受けたこともある。

三ヶ月近くかかっただろうか。
なんとか「すごい飯」に手をつけられる様になりはしたが、一度落ち切った体重と脳萎縮を回復させるのは困難だった。
そこで成長期の男子の摂取カロリーよりも高いという、産科で提供される妊産婦食に食事内容が変更された。それに更におにぎりを一つ加える、本当の「すごい飯」を食べるよう指導された。

空いた食器はすべてチェックを受け、完食したかどうかを都度、記録される。食事を残した時は「それが何で、どうして食べられなかったのか」も記録。体重の増減も水分量も細かにグラフに記された。
医療従事者側からしたら、それは患者の命を救うための大切な治療の一環だ。だけれど病んでいる私には「ただ太れ」と命令されているようにしか捉えられず、食事自体が苦しく悲しい作業でしかなかった。

食べられるようになったきっかけは、ある医師の言葉だった

ところで私が思春期に摂食障害を発症したせいだったためか、摂食障害の原因として「モデルの様な体型に憧れたため」と認識されていた。
だけど私は、自分がモデルのような身体に憧れた覚えがない。かといって10年近くもの間、自分でも原因が分からなかった。

今なら原因が分かる。そこには「自分はノンセクシャルでありたい」という、無意識的な願望が強かったからだ。
女性らしい身体を疎む気持ちが強く、少年のような体型に憧れていた。今もそれは変わらない。本当なら、変えるまではいかなくとも少しでもこの強迫観念を和らげるべきだとは思っている。自分の勝手なこだわりのせいで周囲に迷惑を掛けたことの申し訳なさに圧し潰されそうになることもある。

――入院中、ある時から私は「すごい飯」を完食するようになった。
「すごい飯」を平らげる私への周囲の反応は面白いほどだった。精神神経科の主治医のN先生や看護師さんたちだけでなく、内科の主治医の先生や看護師さんたち、管理栄養士さんや栄養課の方々までもを驚かせ、喜ばせた。

が、私が拒食症患者であるにも関わらず「すごい飯」を完食できるようになったのは他でもない、N先生のおかげだった。
N先生と私はお互いが距離感を測りすぎる性格だったようで、当初はあまりうまく関係が作れなかった。それでも少しずつ、毎日かならず回診に来てくれるN先生を信頼するようになった。
N先生は常に真顔で言葉も少ない。かなりの人が、彼に真面目な印象を持つと思う。でもその反面で、なぜか飄々とした雰囲気と捉えどころのない独特な静かさと温かさを感じさせる。私の言葉で彼のことを一言で表すとするならば、「暗闇の中の凪」。

しかし、そんな風にN先生に好感を持てても、相変わらず私の中では食事を摂ること―「すごい飯」を食べることには抵抗があった。日に日に丸みを帯び、女性らしい身体付きに近付いていくのがたまらなく嫌だった。
N先生がたった一言、「そのままで良いです」と言ってくれるまでは。

私は食を拒んでいたのではなく、自分を拒んでいた

今までの先生たちは「太れ」と言った。言葉は違えど、内容は同じだ。もちろん拒食症患者の命を救い健康な身体や心を取り戻すためには、それがゴールの一つだから当前のことだ。
だけどN先生は、そのゴール地点をスタート地点に軽く変えてしまった。
「今のあなたで良いです。……元気で生きていてくれるなら」
今の私って……なんだろう?元気で生きるって、どうやったらできるんだろう?
そう思った時、不意に「N先生って、やっぱり変な先生だな」と、半ば呆れてしまった自分がいた。そして自分のことを助けてくれる人に対して呆れてしまうという、無責任で自分勝手な自分にも呆れた。

でも同時に、そんな無責任で自分勝手な自分が嫌いじゃないことに気が付いた。
私は食を拒んでいたのではなく、今の自分を拒んでいる。
自分が好きなら、大事にしたいと思うはずだ。元気で生きていこうとするはずだ、多分。
どこかで私は、ノンセクシャルでありたいという自分を恥じ、拒んでいたのだと思った。恥ずかしいから、認めたくないから、だから自分を虐めて殺そうとしたのだと思い知った。

その時から私にとっての「すごい飯」は、すごいパワーをくれる「すごい飯」に変わった。
今でも摂食障害で精神神経科には通院しているものの、食事もちゃんと摂れ、「すごい飯」に感謝する日々を送れている。適正体重を無理なく保て、ノンセクシャルな自分を好きな、今の私がいる。

ただN先生だけが、今は診察室にもういない。
かねてから進めていた研究に没頭するため大学の研究室に戻ることになり、私の主治医ではなくなってしまった。多分、相当の偶然がない限り、二度と会うことも声を聞くこともできないと思う。

ちなみにN先生の「すごい飯」、つまりは大好物なのだが、それは「肉」なのだそうだ。
好物について尋ねた時も、N先生は真顔で一言、そう言った。