震災報道を見て涙を流す。それでも自分が防災対策をすることはない

あの日、音楽の授業中だった。揺れを感じてからすぐに、リコーダーを置いて机の下に潜った。あんなに長い揺れを経験したのは初めてだった。机に置いたリコーダーが床に落ちていくのを見ていた。揺れが収まってから授業が再開されたが、何度も揺れては授業は中断になった。家に帰ってからも、テレビでずっと東北の様子が流れていて、初めて見る津波の映像に恐怖したのをよく覚えている。それでもその時は、後に名前がつくほどの地震だとは思いもしなかった。
あの日、彼の隣でうとうとしていた。正月から彼と過ごせる幸せに浸りながら眠りにつこうとしていると、小さくではあるが揺れを感じて目が覚めた。すぐにテレビをつけると、正月番組から一転、どの局でも津波警報を流していた。いつになく強い口調で避難を促すアナウンサーの声を聞きながら、恐怖に震えテレビを眺めることしかできなかった。
そんなことがあっても、震災後の私は何も変わっていない。
私は共感する能力が割と高い人間なので、テレビで被災地の様子や被災された方々のインタビューを見ると、ひどく悲しくなる。時には涙さえも流す。まるで自分が震災で大切な人を失ったかのような、深い喪失感に襲われる。
それでも自分が防災対策をすることはない。
防災対策はいつも家族任せだ。家族が水を買おうと言えば水を買い、「防災グッズはここにあるからね」と言われれば承知する。
南海トラフ地震臨時情報が出た時はさすがに身構えた。同棲している彼が、いかに異常事態であるかを教えてくれたからだ。すぐに近所のスーパーに行き、非常食を買った。が、調査終了し、一週間も経てば、今までの生活に元通りだ。
いくら被災者に共感して悲しもうとも、心の底ではどこか他人事なのだ。
そんな自分に気づくと、自分が恥ずかしくなる。被災者の悲しみは、メディアの必死の報道は何だったのか。私のような人間を被災者やメディアの関係者が見たら、どう思うだろうか。そう考えると、震災後に唯一変わったことといえば、そんな他人事な自分に気づいたことかもしれない。
日本人は日常的に小さな地震を沢山経験しているから、地震に慣れすぎている。多少揺れたくらいでは日常生活を続ける。緊急地震速報にも慣れすぎている。私も例に漏れずその一人だ。でも、いつまでも他人事ではいられない。この日本という国に住む限り、震災とは切っても切り離せないのだ。今日でも明日でも自分の住む地域で震災が起きるかもしれないし、出先で被災する可能性だってある。
頭ではわかっているつもりだが、それでも尚動いていない私はやっぱり能天気だ。
でもこういった震災のテーマが取り上げられる度に、気を引き締める自分でありたい。それが日本に生まれた運命だから。
まずは古いリュックに食料を詰めてみよう。私の震災後は始まったばかりだ。
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