「仕事楽しくない……職場にいるだけでしんどい……」

大学院を出て、有名な会社の希望していた専門職に就いたはずの私は驚いていた。まさかこんな状態に自分が陥るなんて。

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もともとコミュニケーションは得意ではなく、テキパキしているというよりもマイペースな性格。でも、笑顔でニコニコ人の話をよく聞くことで乗り越えてきたし、ゆっくりコツコツ努力して得たい成果を得てきた。

大学院の研究では学会賞もとったし、サークルではパートリーダーを務めてコンクールで優勝した。

「大丈夫、私はうまくやっている。社会人になってもうまくいくはずだ」

これまで頑張ってきた自分に対して、ある程度の信頼を持って社会人になった。

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就職した会社は、古風な体育会系のアットホームな会社だった。コロナ禍の入社で同期との関わりも少なかったことも影響して、どちらかというと内向的な私はその雰囲気に馴染めなかった。

そのうえ仕事内容もかなり裁量が大きく、自由になんでもやってみたいことをやりなよと入社早々に言われる。いきなり野放しとなった私は何をしたらいいか分からず、頭の中が散らかって苦しい時間を過ごした。

だんだん会社で過ごすのがしんどくなり、プライベートで家族や友人に心配されるまでになった。さらには、若手社員の住む寮を出たくて早く結婚しようと焦り、彼との関係も悪くなった。

頭の中はますます散らかって、仕事にだんだん身が入らなくなっていく。職場の人たちとの雑談が苦手で周りにうっすら壁を作ってしまい、気づいた時には心のシャッターを下ろすようになっていった。

人に相談や質問ができず、仕事の進捗も行き詰まってしまった。
まるでゲームの中で毒沼に落ちたような日々。

モチベーションを保って仕事ができていないのは明らかだった。だから休職という選択肢は何度も頭をチラついたし、相談した友人にも勧められた。でも、その選択を選ぶことが怖かった。

有名な大学を卒業して順風満帆に生きてきた私は、休職を選ぶほど仕事がうまくいっていないという事実を認めたくなかったのだ。そんなちっぽけなプライドが、足を絡め取っていた。

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悩み抜いた結果、私が選んだのは休職ではなく「静かな退職」だった。静かな退職とは、最低限の仕事しかせずやる気を出さない働き方を指す。

コロナ禍や終身雇用の崩壊によって、「仕事のために生きる」姿勢に疑問を持つ人が増えたことによって広がりつつあるそうだ。

実践してみたところ、とても働きやすかった。

これまでは働きにくいなりに頑張ろうとして、家に帰るとへとへとになっていた。でも「静かな退職」を選んでからは、家に帰っても余暇を楽しむ余力が残っている。明らかに体調とメンタルが安定してきたのを実感した。

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しかしそのゆとりも長くは続かなかった。徐々に周りとの溝を感じ始めたのだ。

それもそのはずで、頑張って働いている人にとって「静かな退職」の職務姿勢は怠けていて目障りと感じるのも無理はない。何を考えているか分からない人、と思われて周りとのコミュニケーションも一層減ってしまった。

そして徐々に頭をもたげてきたのは、「あのとき休職を選んだほうが良かったのでは」という後悔だった。

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そんな時、朝ドラ「虎に翼」を観ていて、ハッとするセリフに出会った。

「思っていることは口に出したほうがいい!」

これは主人公の兄のセリフであり、彼の死後も家の家訓として風通しの良い空気を作るのに一役買ってきた。

このセリフを聞いた時、気づいてしまった。私は怖くて思っていることを口に出せなかったのだ。仕事に身が入らないことも、周りに馴染めないことも、口に出さず心にしまった。

素直に人事に相談して休職という選択肢を取ることもできたのに。

潔く休職してもう一度頑張れるかどうかを判断してから戻ってくる、これが事態をややこしくしない最善の策だったのではないかと思えた。

「静かな退職」で心を閉ざすことは簡単だったけれど、周りとの風通しの悪さに一番苦しむのは自分だった。そもそも「頑張れない、つらい」という自分の本音を、自分自身が受け入れていなかった。周りとの風通し以前に、自分の心の中も風通しが悪かったのである。

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こうして「頑張れない自分」をやっと認めることができた私は、一から社会人をやり直すつもりで、部署異動か転職をすることに決めた。

足を絡め取っていたプライドはもう過去に捨ててきた。「思っていることは口に出したほうがいい!」を心において、できるだけ素直な自分でいたい。

サラリと風吹く爽やかな心で生きていれば、いつかきっといいことがあるはずだ。