あの時中学生の私が感じた歯がゆさを、次はちゃんと還元したい

震災が起きたとき、私は中学生だった。学校で授業を受けているときに揺れを感じ、教室がどよめいたのを覚えている。たまに感じる揺れとは違い、強くしっかりとした揺れを感じたので、どこか違和感を覚えていた。
私の住んでいた地域は、震源地から離れた場所。その場所でこれまでよりも確実に揺れを感じるくらい揺れていた。教室の蛍光灯がブラブラと揺れ、私たちは学校で習った通りに机の下に隠れた。習ってはいたものの、実践するときが来るとは思いもしなかった。
揺れは長く、収まったときはやっと収まったか、という感覚だった。クラスメイトのなかには怖いという人もいた。私がいた教室では被害はなく、揺れが収まったあとはいつも通りに授業が再開された。テレビもスマホもない教室では、日常が続いており、いつものように授業を終えて帰宅した。
帰宅してすぐ、テレビをつけた。いつものようにドラマの再放送を見ようとしたからだ。しかし、映像は全く違った。震源地が東北にあり、最大震度は7。今までにない未曾有の大災害としてワイドショーが伝えていた。
画面に映っていたのは、大きな揺れとともに崩れていく本や家具。動く机や椅子、必死に身を守る人たち。私は何を見ているのだろうと思った。現実味があまりにも湧かず、見たかったドラマとはチャンネルが違うだけなのだと思ってしまった。
しかし、チャンネルを変えても、画面に映る映像は変わらなかった。津波に関する情報も出されており、とても大きな何かが起きたのだと悟った。
ワイドショーを見進めていくと、授業中に感じたあの大きめの地震が本震であり、揺れが広範囲かつ大きなものだと知った。
現実だとわかり始め、本当に起きたこととしては受け入れがたい気持ちとの葛藤が生まれた。学校から帰宅して、とりあえずテレビをつけようと持ったリモコンを手放せないまま、椅子にも座らず呆然としているしかなかった。
翌日、学校に行くと、話題は地震でもちきりだった。友達との会話も、先生のフリートークもすべて震災関連。それだけ大きな印象を私たちに残した、ということだろう。地震発生から程なくして起きた原発事故も重なり、東北はこれまでなかったほど映し出されていた。
連日絶えず放送される被災地の状況。なにか助けたくても、中学生の私に助けられる方法はない。現地に行くことはできず、言葉を届ける術もない。黙ってテレビの前に座り、映し出されることを現実として受け入れることしかできなかった。
とても歯がゆく、私が中学生であることに腹がたった。大人であれば、ボランティアや仕事を通じて何かできることがあるのかもしれないと思った。子どもだから被災地に行けない。現実を目に焼き付けることも、そこで力になることもできなかった。とても悔しいと思った。
大人になった今も、あの歯がゆさは覚えている。動きたいと思っても動けなかったことを、今ならなんとかできるだろうか。少なくともボランティアには参加できるかもしれない。
ただ、大人は大人で課題が出てくる。仕事をどう休むか、という問題だ。行きたい、力になりたいという思いだけではどうしようもできないことを知った。
けれど、身近に震災と同じような状況が起きてしまっても、少しは力になれる仕事に就けた。
来てはいけない災害だけれど、今後さらに大きい災害の危険性があると言われている。私が今いる場所は、確実に混乱と不便を強いられることになるはずだ。
生き延びるだけで精一杯の状態に多くの人が陥る。そんなときに手を差し伸べられる人でありたいし、仕事を生かして人の役に立てる人間でありたいとも思う。中学生の私が感じた歯がゆさやもどかしさは、ちゃんと還元したい。
いいようにまとめているが、実は書くまでは当時の思いを遠い存在にしてしまっていた。もちろん記憶としては鮮明にある。思い出せる。しかし、貢献できる方法は他にもあったように思えて、もっと早く役に立てる方法を考えられたはずだと感じてしまう。今の仕事も活かせるのなら今とは違う場所で活躍していてもおかしくないと思った。
反省というか、振り返るとおざなりにしていることが意外とあると気づいた。反省しなければ。多感な時期に感じた思いだからこそ、覚えておかなければいけないはずだ。
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