口コミに書かなかった「本当のこと」。海外へのひとり旅で考えた強さ

私は海外ひとり旅が好きだ。なぜなら、普段へにょへにょした私がちょっぴり強くなれるから。特別な強みがあるわけではない。しかし、強くならざるを得ない環境は、人を逞しくさせてくれる。
例えば5年前、モロッコのゲストハウスにて。宿のスタッフに舐められ、宿泊費を二重に徴収されそうになった。1泊1000円程の安宿。もちろん金銭的には出せる額だ。しかし、許せなかった。宿のスタッフは強気で「まだ受け取っていない。支払え」と迫ってくる。
だが、チェックイン時に確実に支払っていた。「I paid!」としか言えない私。むかつく、むかつく…!!スタッフは英語で、まくし立ててくる。仲良くなったトルコ人男性は隣であたふたしている。
もう知らん!と私はドミトリーに戻った。腑は煮え繰り返ったまま。完全に舐められている。そりゃ私なんて絶好のカモだ。日本人×女性ひとり旅×英語ほとんど話せない=お小遣いゲット可能、と判断されたのであろう。
到着時、そのスタッフには本当によくしてもらった。日本語が少し話せることもあり、心底ほっとした。なのに。裏切られた怒り。英語で抗議しきれない自分へのもどかしさ。
普段温厚な私の心に火がついた。「絶対私が正しいことを認めさせる」そう決意すると、心は静まり、あとは自分にできることをやるだけ。共有スペースに戻った。誰もいない。部屋の隅には、チェックインの際記入した用紙が積み上げられていた。これは使える、そう思った。私の用紙ももちろんあった。
スマホの翻訳機能を使いながら、確実に支払ったことを書き記す。そして、用紙をそっと戻し、ドミトリーに帰った。次の日の夜。外から帰ってきて少しすると、スタッフが登場。「ごっめーん!間違ってたわぁ〜。怒らんといて。なっ!」といった感じで近づいてきた。
私は持てる全ての嫌悪感を出して顔を背けながら、心の中で大きくガッツポーズをした。おっしゃ!勝ったぞー!!!このときの気持ちよさったら。忘れられない。そしてしばらく無視し、謝り続けさせると、まぁいっかという気持ちになった。そして私たちは和解した。
その夜は宿で出会った人たちとパーティをし、心から楽しむことができた。スタッフも一緒に参加し、少々媚びるように私の横で全力で盛り上げてくれた。なぜかその姿がかわいく思えた私はきっとお人好しなんだろう。ぼったくろうとしてきた人なのに。
帰国後、宿泊予約サイトからメールが来た。「口コミを投稿してください」とのこと。少し迷った。注意喚起として、ぼったくり未遂を記入するか、和解後の楽しかったパーティの感謝を記すのか。結局、口コミは投稿しなかった。どちらも私にとって旅の思い出になったからだ。その思い出を公開する必要はないと思った。5年前の記憶はここまで。
では本当の強さとはなんだろうか。ひとりで海外へ行くこと?正しさを訴えること?もちろんそれも強さの1つだろう。しかし、本当の強さは口コミに記入しなかったところではないだろうか。
SNSが身近な存在となった現在、気軽に情報を流すことができる。だから、自分の中にとどめておくことへのハードルは上がっているのではないか。
垂れ流す、とまでは言わないが、ふとした瞬間に「あっ…」となっていないだろうか。本当の強さとは、相手や未来を考えて行動したり、自分の中にとどめておくことではないかと振り返りながら感じた。
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