5年前、当時ヨーロッパのとある国に留学していた私は、帰国前にどこか別の国を旅したいと思った。旅行が大好きであるため、行きたい国や地域は挙げても挙げてもキリがない。しかし、私は「最後にコルマールに行こう」とふと思ったのだ。

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コルマールはフランスの北東部にある小さな村だ。ドイツの国境付近に位置するため、フランスとドイツの雰囲気を両方楽しめる。旧市街は「ジブリ作品のモデル」と言われており、訪れる多くの人がファンタジーの世界に迷い込んだかのような心地になるだろう。
そんな夢のような街へ訪れる目的は特になかった。ただ、住民のようにのんびり過ごしてみたかった。

宿はAirbnbアプリを使って探した。主に宿泊施設を予約できるサービスで、ホームステイが充実している。現地生活を体験したい私にぴったりだ。中心部から少し離れたところにある家を2泊3日で予約した。

その家のオーナーは現地で暮らすフランス人のおばあさんで、プロフィールの笑顔が印象的だった。チェックイン時間などの確認のために、彼女と事前にアプリ上で何度かメッセージのやりとりをした。私の英語のメッセージに対し、フランス語で返信するおばあさん。英語があまり通じないようだったが、「フランスで生活してます感」を旅行前に味わうことができ、何より親切に対応してくれた。訪問がますます楽しみになった。

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フランス・コルマールへ到着。駅から旧市街を経由し、滞在先を目指した。旧市街の郊外にはアパートやショップが建っていた。旧市街ほどの華やかさはないものの、静かで暮らしやすそうな印象だ。その中のアパートの1つへ向かい、階段を上った。

ベルを鳴らすと、「ボンジュール!」とおばあさんが笑顔で迎えてくれた。実際に会うのは初めてなのに、顔を見た瞬間、懐かしさを感じた。まるで、遠い親戚に再会したかのようだ。
案の定、英語は通じなかったが、フランス語で話しかけられても言いたいことは伝わってきた。翻訳アプリを使った会話も全く苦ではなかった。むしろ、フランス語の発音が心地よかった。

おばあさんが私が使うベッドルームへ案内してくれた。暖色で統一された壁やカーテン、数は多くないが品のある家具たち、そして綺麗に整えられたベッド。初めての空間なのに「おかえり」と言われた気がした。
その後、キッチンで一休みした。おばあさんは喉が渇いていた私にレモン水をくれた。その時の暖かい気温や長い道のりを旅したことが相まって、とびきりおいしく感じた。

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翌日、コルマール付近に位置する村・エギスハイムを日帰りで訪れた。コルマールより小さなこの村は、小人の世界に迷い込んだような気持ちになったかと思えば、ランチのお供に飲んだワインは上品な味がした。

家に帰ると、おばあさんが迎えてくれた。これまで、このホームステイサービスではオーナーがチェックインとチェックアウト以外に顔を見せてくれることはあまりなかったので、少し驚いた。帰ってきた私にレモン水を渡してくれた。そして、おばあさんと何気ない会話をした。翻訳アプリを経由した会話で、あんなに楽しいと感じたのはおばあさんが初めてだった。何となくフランス語の雰囲気をつかみ、おばあさんの言葉に対して”Oui(はい)”と答えたら、笑ってくれた。それが嬉しくて、胸がいっぱいになった。

その日の夜、ベッドでコルマールとこの家で過ごした時間を振り返った。街はもちろん素敵だったが、おばあさんの家が、おばあさんと過ごす時間が、こんなにも心地いいとは思わなかった。まだ帰りたくない。心の中で、幼い子どものように少し駄々をこねながら眠りについた。

チェックアウト、お別れの日。家を出る前に、まるで習慣であるかのように注いでくれたレモン水を、最後まで味わう。玄関まで見送ってくれたおばあさんは、私を抱きしめてくれた。目頭が熱くなったが、私も笑顔で別れを告げた。「また、帰ってこよう」そう思った。

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約2年後、新型コロナウイルスが世界中に猛威を振るった。普段マスクをしない、むしろしていると怪しまれるヨーロッパで、人々が頑丈なマスクをしている姿や閑散とした街の光景をメディアを通して見て驚いた。そして、真っ先におばあさんが浮かんだ。おばあさんは元気だろうか。
2年ぶりにアプリを開き、ダメ元でおばあさんに安否確認のメッセージを送った。すると翌日には返信をくれた。無事の報告と私の安否を気にしてくれたことが嬉しかった。その後、何度かメッセージを交わし合った。クリスマスの時期には、メッセージカード風の画像を送ってくれた。私もすぐにお祝いの言葉を返し、画像を保存した。それが最後のやりとりだった。

そして現在。コロナが落ち着いて久しぶりに海外行きの航空券を予約した私は、おばあさんのことを思い出し、アプリを開いた。おばあさんのアカウントは消えていた。私が過ごした家の予約ページがなくなっていたのだ。メッセージも送ることができない。私とおばあさんをつなぐものは、コルマールへの滞在履歴とおばあさんの笑顔のアイコンだけになった。

いつか、また会いに行こうと思っていたのに。まるで里帰りしたかのように、おばあさんに「いらっしゃい」と言ってもらいたかったのに。時間の流れや社会情勢の変化。再会できる可能性が一気に下がった。

あの時、私は確かにコルマールで生活していた。短い時間だけど、おばあさんと一緒に。また会えると信じたい。そう思いながら、自分で作ったレモン水を飲んだ。レモン水を飲むことが私の習慣になった。