記憶は曖昧だけど、経験した中では一番最初の大きな震災が、3月に東北で起きたあの震災だったと思う。正直私自身は、今のところ大きなの震災の経験がないから、どこが他人ごとだし、実際に災害を経験しても仕方ないで諦めてしまう気がする。それでも、そんな風にいろんな災害で何かを諦める人が一人でも少なくなればいいと思う。

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あの日地震が発生した時に私は、学校にいたはずだ。いつものように、友達と地震だねと話しながら、何事もなく授業が再開された。そして、状況が変わったのは、それから少しして、校内放送で先生が職員室に呼び出された時だ。スマホはもちろん、テレビなどの情報機器も持っていない学生だった私は、何かあったのかもしれないということしかわからないし、自習と指示された中で、もしかしたら早く帰れるかもと期待と、そうでなかった時に気にしない反応をする準備の事が頭を占めていた。そして、ほどなくしてその日は、各班ごとに先生と一緒に下校となり、下校後に家から出ないようにと伝えられた。

そして、帰宅後いつも通りにつけたテレビがどのチャンネルでも同じ震災による被害の影響を報道しているのを見て、初めて大きな地震であったことを知った。その時に報道されていたのはどこかのビルの火災被害だったように思う。その報道を見てもやっぱり私にできる事はないし、テレビは全然面白くない、というのが私の感想だった。

帰宅してしばらくすると、道路がふさがってしまって、家に帰れないと母親から連絡があり、兄弟が家にいるのかを電話があった。その後、政府が何を決めましたや大きな津波の報道があったけど、1週間もすれば、元の生活に戻っていた。これが、私の震災の記憶だ。

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確かに大きな災害だった。でも、本当に大きな被害があったのは、震源に近いごく一部だと思う。そしてもしかしたら、冬ではなかったことは小さな救いかもしれない。それでも、この震災が辛い出来事として語られる理由は、津波の被害が大きかったことだと思う。もしかしたら、避けられたかもしれない被害。地震の後のいろんな報道で、「あの時ここで別れた」とか「最後はこんな話をした」みたいな会話が聞かれる。もし大きな地震の後に津波が来る可能性があることをたくさんの人が知っていたら、被害に遭わずに済んだ人がいるはずだ。

その教訓からかあの震災の後から、防災に注目されるようになったと思う。きっと、それまでよりずっと災害時を想定した訓練とか備蓄に目を向けられるようになった。私の職場でも、定期的に賞味期限間近の保存食が配られたりする。そして、その保存食のおかげで災害や避難について、考えるきっかけができる。災害の起きる時間や季節によって、さまざまな状況があり得るし、そのすべてに備えることは難しい。

でも、たまにでも、そういう状況をシミュレーションしていることで避けられる被害や救われる人がいるなら、その準備は無駄なことではないと思う。そしてその準備の1つとしての賞味期限間近の保存食が配られて、職場でどれが美味しいとか新しい種類が増えているとか、平和な話ができる日常が、あの震災の先で確かに続いていることを実感している。