客観的事実に無用な意味や感情を持たせる色メガネ。結局は自分との戦い

小学生の時、海外で暮らす経験に恵まれた。
現地でできた友人は、英語が拙い私にも拘らず、よく遊びに誘ってくれた。日本とは違い現地では中学生くらいまでは保護者抜きで遊ぶということはできず、必ず友人の親のどちらかがいたことを覚えている。学年などにもよると思うが、学校の終わる時間は4時ごろの割と早い時間だった。そんな早い時間帯でもその子の父親も母親も半分ずつくらいの割合で私たちを見てくれていた。
その時の私の世界での家族観は自分の家庭を基準にした狭いものだった。友人の両親の様子を見て「毎回、専業主婦の母親が見ていればいいのに。この子のお父さんはこんな頻度で会社を早退してよっぽど会社で頑張ることに興味がないんだろうか」と幼心に思っていた。後々知ったのは、その子の両親とも共働きであること、海外では家庭と仕事のバランスをとることが当たり前だということだった。
私自身の両親は父が遅くまで働き、母は専業主婦で子育て含めて家を守るというような役割分担だったし、日本でも下校時にお迎えに来る同級生の親で父親を見たことがなかった。そして、それが当たり前だと思っていたので、平日に帰れないほど猛烈に仕事をする父をかっこいいと思っていたし、そんな父を支える母も好きだった。自分も母親と同じく20代半ばにはそうなっていくことが幸せなんだろうと漠然と感じていた。そうならない女性はよっぽど仕事ができて、出世がしたくて、男性のように生きる不思議な人なんだろうとすら思っていた。
大きなきっかけはないが、海外で多様な価値観に触れる経験、大学に進学し、就職して、自らが「色メガネ」で見てきた世代になったことで、幼少期の友人の両親が至って普通だったことを理解し、「色メガネ」は外すまでは行かなくとも、薄くはなった。
時代の流れなのか、結果的に、自分を含めて中高大の女性の友人で仕事をしていない子はおらず、20代半ばに結婚した友人もほとんどいなかった。自分自身現状仕事を続けているが、仕事にやりがいはあるものの、出世欲の塊のようなわけでもなく、生活をしていくためにプライベートとバランスよく働いているという状況である。
子供の時からの価値観で、もはや裸眼だと思っていたものが「色メガネ」だと気づいてから、気を付けるようになり、人に対して何か思うことは少なくなった。しかしながら、「色メガネ」を装着してしまうことはあり、決まって何かがうまくいっていないときに自分自身に対してであることが多いことに気づいた。例えば、仕事がうまくいっていないときに「専業主婦になる選択肢もある女性」である自分がなぜ仕事を続けているんだろう、といった具合に。
ただ、同時に「専業主夫」など、男性でも同じ権利があるということを考慮に入れる余裕が持てていないこと、自分と同じような環境でしっかりと自律しながら生きている女性たちがいることを突き付けられて、性別の問題というより自分自身の問題なのだとわかりきっているので、不甲斐ない気持ちになる。
今回は「性別における役割」という「色メガネ」を軸に書き連ねたが、冒頭に書いた通り、私自身が「色メガネ」で苦しんだのは「帰国子女」であることのほうが大きい。
突然母国語でない学校に放り込まれて苦しんだ日々や日本での勉強がすっぽり抜けていて追いつくのに必死だったこと、海外生活に馴染み切れずに途中で帰国する子もいる中で数年過ごし切ったことへの労いなどなく、「英語がペラペラでうらやましい」「自分も海外に行けたら」という言葉を幾度となくかけられて傷ついた。
しかし、いま振り返ると英語が苦手な人から言われたことが多く、私の「色メガネ」同様、彼ら自身の課題を棚に上げているだけなのかもしれないと思う。
「色メガネ」は性別だけでなく、様々な客観的事実に無用な意味や感情を持たせていることがある。何かネガティブなことを考えそうになる時、自分自身の問題を押し付けようとしていないだろうか、と一度考えることを心掛けることで、どうにか「色メガネ」を外せるように今日も努めている。
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