「あなたがいたから頑張れた」コロナ禍の出産を乗り越えた彼女の手紙

2020年、日本にも新型コロナウイルス感染症がやってきた。突然の未知のウイルス。当時私は、産婦人科で助産師として働いていた。
病院はまさに大きくコロナの影響を受けた。病院全体、面会禁止。もちろん産科も同様で、分娩の立会い禁止、退院まで面会禁止。家族みんなで新たな命を迎えられるはずが、突如として女性たちは1人で産まなければいけない状況になった。
立会分娩禁止を知り、 「どうしてもだめなんですか」と外来で泣いてしまう妊婦さんもいた。
産科のスタッフももどかしい気持ちになりながらも、多くの女性と赤ちゃんを守るためには、病院の方針に従うしかなかった。
当時、1人で出産に臨んだ女性たちは、どんな気持ちでいたのだろうか?
その中で、忘れられないひとつの出産がある。
20代前半ではじめての出産。不安もたくさんあっただろうに、「大丈夫、がんばれ、もう少し」と静かに自分を励ましながら出産に臨む姿。
私は夜勤で彼女の担当になり、「1人で心細いよね。大丈夫。順調だから。頑張ってるよね」と声をかけながら、腰をさすっていた。
「可能な限り、産婦と接触するのは短時間で」なんて通達も出ていた。もちろん、あの頃の最善策だったと思う。でも、それではなんのために助産師がいるのかわからない。
ありがたいことに、その日の夜勤での分娩はそれだけだったため、できるだけ彼女のそばにいた。
ゆっくりとお産は進み、朝方無事に出産を迎えた。
出産直前に赤ちゃんの心音が下がり、最後はバタバタと医療処置も入ったが、結果的にはとても元気な産声が聞こえた。
彼女はわあっと顔が輝き、生まれてきた赤ちゃんに「生まれてきてくれてありがとう」と泣きながら声をかけていた。
出産は最後まで何が起こるかわからない。
だからこそ、元気な産声が聞こえ、母子共に安全に出産を終えられた時、ようやく私たち産科スタッフはほっとするのだ。
そして、我が子を抱いた時の表情をみて、「そうだ、この瞬間が見たくて私は助産師になったんだった」と毎回思い出す。
コロナ禍でなかったとしたら、ここにお父さんもいて、家族みんなであの子を迎えていただろう。
そう考えると、本当にあの時のコロナ禍はもどかしかった。
その後、彼女の退院までの期間、勤務が重なったのは1日のみでなかなか会えなかった。彼女が退院した日の夕方、私は夜勤で出勤した。すると上司が「あなたに手紙を置いていってくれたよ」と彼女からの手紙を渡してくれたのだった。
そこには、思ってもいなかった言葉が綴られていた。
「あなたがいたから最後まで頑張ろうって思えました。人生で一番しあわせな日にしてくれてありがとう」
あの頃、実は私は流産したばかりで、助産師として働くことがとてもつらかった。1人の女性としてつらい気持ちの中、仕事では助産師として「おめでとうございます」とにこやかに伝えなければならない。こんな気持ちのまま、このまま助産師を続けていいのか。しばらく悩んでいた。
でも、この言葉で、「ああ、助産師になってよかった」と心から感じ、夜勤中、誰もいない休憩室でこっそり涙をふいた。
強さとは、大きな声で叫ぶことでも、強い力でねじ伏せることでもない。
1人でも、心細くても、自分を信じること。
そして、誰かのそばにそっといることもまた、強さなのかもしれない。
あの日、1人で出産を乗り越えた彼女は、しなやかに強かった。
そして私もまた、あの手紙の言葉に支えられながら、働き方は変わったけれども助産師として歩み続けている。
わたしたちの強いとこ。
それは、静かに、でも確かに、お互いを支え合うことなのかもしれない。
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