変化は怖い。それでもそこに幸せがあるから、私は今日も一歩踏み出す

日常の中で、今、瞬きをしていると意識している人はどの程度いるのだろう。
瞬間的な暗闇すら脳内で補正できるハイスペックな人間という生き物にとって、花粉が舞うこの時期を除けば、基本的に瞬きというものは意識するものではないように思う。
しかし、瞬きをする、その刹那が繋がり人生は変わっていく。
好きか嫌いか、興味が生まれるか生まれないか。
視覚、聴覚から入る無意識の情報精査によって1秒後、1分後、1時間後、1日後、1年後、数十年後の人間は形成されていく。
そう意識すれば、出会った人、物、この世界が少しだけ豊かに見える。
経験ミルフィーユの底で少しずつ価値観が固まりがちな20代後半の私。
変化のきっかけに対して御託ばかりを並べ、少しずつ腰を上げる事に躊躇する。
そんな私を卒業する。そう思う2024年度末の春休み2日目である。
とはいえ、かつて浮き草という異名がついたほどに私は私という軸が無い人間だ。
もっと具体的にいうと、正義への変化に柔軟な方では無いかと思う。
自分にとって良いものか、それが社会的に悪ではないものか。
自分が体験したものや事を比較的粗めのフィルターで濾過したものが正義となり自分自身へと沁み込んでいく。
そうして比較的自由な私が形成されている。
そんな私も歳を重ねるにつれ、何かにつけてやらない理由を探してきた。
今忙しい、やってみたいけど投資した分返ってこなかったらどうしよう。
やろうと思えば時間は捻出できるし、自分の熱量に対してリプライがないことなんてこれまでもたくさんあった。
だけど怖いのだ。
どんなに変化に柔軟と言っても、心の奥では自分というものが変わってしまうことが怖い。
それは自分というものが無くなってしまうような、自分が自分で無くなってしまうような。
なりふり構わず人を愛していた昔を思い出すようで、怖い。
そうして予防線を張りながらこれからも生きていくのだろうか。
安全なところから世界を見渡すのだろうか。
それは私の幸せなのだろうか。
社会人5年目、目標だった国家資格も取得し、あまりにも区切りのいい春。
私はどこへ向かうのか、どうありたいのか。どんな未来を描こうか。
私は、幸せになりたい。
御託を並べて遠巻きから見ることはもうやめる。
私は私の行動で幸せになるのだ。
そうして人生で初めて、10年以上ぶりに1人で映画を見に行った。
観たのは同僚に勧められた松たか子さんと松村北斗さん主演の「ファーストキス」。
なんだ、その程度かと思われるかもしれないが、かつて映画館で過呼吸を起こし、それ以来敬遠していた私には大きな一歩だった。
2時間ほどの映画が終わった時、私は声も出さず涙を流していた。
かつてのトラウマを思い出す暇もないほどに作品に惹き込まれていた。
あまりにも感動して、先日2回目を観に行った。また泣いてしまった。
私の幸せに近づいたのかと問われたらこれだけではわからない。
ただ、一歩踏み出して本当に良かったと思う。
この一歩を機に私の変化に対するハードルが少し下がったのではと思う。
やってみたら意外とできた、そんなことがもしかすると今までもあっただろう。
しかし、悔やんでいる暇はない。
人の時間は有限だ。幸せを掴みに私は今日も変化へと一歩踏み出す。
変化は自分を自分でなくすることもある。
自分で自分をコントロールできないということは、歳を重ねるにつれて怖くなるものだと思う。
たくさんの鎧を着て、色々な糸に縛られて、多くの目に晒されて。
私たちは私たちである前にあまりにも多くの人間に、社会に認識され監視されている。
しかし、私たちが私たちの幸せを追い求めることを止められるものは何もない。
変化は怖い。同時に変化は私たちに活力を与え、幸せを与える。
一緒に変わろう。一緒に前へ進もう。私たちはなんでもできる。
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