「子どもを産まないといけないんだから結婚は絶対に早い方がいいよ」
「あら、もう26歳なのね。その頃私は子どもがいたわよ。早く結婚しないと!」
「女の子なんだから、早くいい人と結婚して家庭を持たないと幸せになれないよ」
「誰か良い人はいないの?うかうかしてたら行き遅れちゃうよ」
「まだ結婚しないの?子どもいいよ~かわいいよ~」
「もう31歳?ヤバいじゃん」

25歳を超えたあたりから周囲からかけられた呪いのような言葉。
祖父母、親戚、近所の人達、大学の教授、就職先の上司、同僚、取引先の顧客、同級生…
私に言葉をかける“結婚をした側”、“子どもがいる側”の人達は全員「あなたのためを思って」と言わんばかりに憐みの表情までが毎回セットだった。

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現在31歳の私はまだ結婚をしていない。
理由は交際している人がいないから。そして、結婚にいいイメージを持っていないから。

結婚に対してマイナスなイメージを持っていた私も2年前に交際していた人とは真剣に結婚を考えていた。将来に向けて一緒に貯金をしたり、同棲の計画を立てたりしていたけど、様々な理由が重なって最終的にお別れをした。

当時の私もとても未熟だったし、何かあると死を仄めかすようになってしまった心が不安定な当時の彼とはお別れという決断をして正解だったと思う。だけど、当時の私達が真剣に結婚の準備を進めていて、それをやむなく断念したことなんて、呪いの言葉をかけてくる人達は全く知らない。

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それに私は機能不全家族で育った。
両親はいたけど、毎日喧嘩ばかりで寝ている私の頭上ではいつも当時の父親と母親の暴言が飛び交っていた。両親の手料理を食べた記憶ほとんど無く、毎日コンビニ弁当やスーパーの惣菜を食べて、私は大きくなった。学習机で勉強できたことも片手で数えるくらいだし、一人暮らしを始めるまで湯船につかることはできず、3日に1回のシャワーでなんとか凌いで生活を送っていた。身に着ける下着も洋服も自分で決めることは許されず、常に行動を管理されていた。

そんな環境でも子供だった私にとって両親は大きな存在で、両親に認めてもらいたくて勉強や部活、生徒会や学外での活動を頑張った。頑張ったことが表彰されたり、数字や結果で表れた時には両親はとても喜んでくれたけど、すぐに些細な事から口論が始まり、幸せな時間はあっという間に終わってしまうことが日常だった。

大人になって、衣食住という人として基本的な生活を周囲に比べるときちんと送れていなかったこと、自分が機能不全家族で育ったことに気付いた時には頭を殴られたような衝撃を受けた。

私が大切にしていた家族って一体何だったんだろう。

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私もいつか大切な人と出会い、結婚をしたいと思うことがあるかもしれない。
だけど、自分が両親と同じように結婚した相手を罵ったりしないだろうか、もし授かった子どもに自分が両親からされたことと同じような行動を起こしてしまわないだろうか、自分で作った家庭を自分の手で壊してしまわないだろか、という恐怖にふとした瞬間襲われる。

そんなトラウマがあることをあなた達は知らないでしょう。
それなのに「女の幸せは結婚」「女の幸せは子どもを授かること」「早く結婚しないお前はおかしい」という価値観をオブラートに包み、あくまでも「あなたのためを思って」という憐みの気持ちで、その価値観を押し付け続ける“結婚”というステータスを手に入れた人々。

「あのですね、出産のライフプランは今のところ未定ですし、お局さまの昔話なんて知らんです。そもそも結婚と出産イコール女性の幸せって価値観古すぎますよ。結婚が遅かろうが早かろうが私の人生だし、あなたに関係ないですよね!?そんでもって、子どもを可愛いと思う気持ちは分かるけど、いい加減あなたの幸せの価値観を私に押し付けるのはやめてほしいです。そして31歳ヤバいって、余計なお世話です」

こんな風に冒頭の言葉たちに対してまくし立てられたらいいけど、そんな言葉すらかける気力も無くなるくらい価値観を押し付け続けられて疲れてしまった。

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自分にだって周りからは見えない背景があるのだから、どんな人にだってその人の見えない背景が必ずある。その背景は周囲に知ってほしくないものかもしれないし、マイノリティなものかもしれない。少なくとも私は周囲にあまり言いたくない苦しい背景がある。
だからこそ、私も気付かないうちに色メガネをかけた価値観で身勝手な言葉を相手にかけていないだろうかと、自分の言葉には細心の注意を払う。

結婚だけじゃなく、職業や金銭面、趣味や家庭環境。
自分自身が無意識に勝手な偏見を持っているものも少なからずあると思う。
よく知らないまま、自分の偏見で言葉を発するってものすごく恐ろしいことだ。

その身勝手な言葉が大切な家族や友人を気付かないうちに傷つけているかもしれない。
日々、使う言葉に気を配るのはとても些細な事だし疲れることもあるけれど、自分がこれまでに傷ついた経験があるから、少しでも価値観の押し付けに苦しむ人が少なくなるようにまずは自分から価値観の押し付けをやめていきたい。