呪いに溢れた世の中、私たちはもっと怒れるように練習が必要なのかも

女という性別で生きていると、世の中は呪いに溢れていると実感する。
「これだから女はダメなんだ」
「女のくせに刃向かうなんて」
「女の子なんだからちゃんとしなさい」
「そんなんじゃ彼氏できないぞ」
面と向かって言われることは少なくなっていると思うが、遠回しにこれに近しいことを言われることは数えきれないほどある。
これを聞くたびに「うるせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」という感想しかわかない。
私は幸運なことに、大学生になるまではこういった呪いに触れることはなかった。
中学ではガリ勉の運動音痴だったが、なぜかいじめられたりすることはなく、高校では我が道を行く友人が多かったため、何にも気にせずのびのびと過ごしていた。彼氏がいる子もいれば、オタクとして人生を爆走する子もいて、それぞれがそれぞれの道を「そんな感じなんやね〜」と尊重しながら生きていた。
先生から注意をされるときも「女だから」「男だから」という言い方ではなく、人として扱ってもらっていたように思う。
ところが。大学生になって2つの洗礼を受けた。
1つ目は、部活動で「女はダメ」などと平気でのたまう先生に出会ったこと。
それを言われた当時の私はすごくショックを受けた。だがそこで挫けるのはすごく癪に障る。「絶対文句を言わせないで完璧にしてからスパッと辞めてやる…!」と決意した。
その結果、複数の役割を掛け持ち、男性の先輩の倍以上の結果を出しても「及第点だな、当たり前のこと」と言われるだけだったし、ことあるごとに「女はダメだ、役に立たない」と言われたけど、3年間やりきった。
会計の仕事もしていたので、大きい行事の収支をきっちり合わせ、OBからお褒めの言葉をいただいたし、部費を滞納している先輩を地獄の果てまで追いかけて未納分を払わせ、完璧な引き継ぎ資料を作った上で、退部届を叩きつけて辞めた。
瞬間湯沸かし器のような怒りが呪いを打ち砕くためには必要なのだと知った。
2つ目は、人生で初めてできた彼氏が「女の子がそんなことしないほうがいいよ」と言ってきたり、私の好きなものを否定してくる人だったこと。
私のためを思って言ってくれているのだと思っていたし、多分本人もそのつもりだったのだとは思うが、好きなものを否定されたことで言いたいことを飲み込むようになった。顔色を窺うようになってしまった。相手が思う理想の私になろうとしたことで、好きになってもらった本来の自分とは変わってしまったのだと思う。
そのお相手とは結局破局したのだが、別れてからも呪いは残った。
かわいい小物を見て欲しいなと思っても「この年でそれ買うの?」「もっと年相応にしたほうがいいよ」と別れた相手の幻影が語りかけてくる。
アイドルのDVDを見ていると「アイドル好きな女の子はちょっとね……」とあの引いた眼差しがフラッシュバックする。ことあるごとにイマジナリー元彼に苦しまされた。
これを克服するために私がしたこと、それは幻影が出てくるたびに「うっるせえんだよ!!!!欲しいつってんだから買うんだよ!!!!!」と心に熱血バチギレ姐さんを降臨させることだった。これを繰り返すことで、欲しいと思ったら躊躇せずに買えるようになった。やはり呪いに対抗できるのは怒りしかないのかもしれない。
外に一歩出れば呪いにさらされる私たちはもっと瞬時に怒れるように練習が必要なのかもしれない。ところ構わず感情を表に出すと生きづらくなってしまうと思うが、内心でブチギレる分には誰にも迷惑はかけないのでいいと思う。
次の世代に呪いを引き継がないようにするためにもまずは私たちの体内から呪いを追い出そう。私たちは強い。呪いへ、しばきまわすから首洗って待っとれよ。
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