高2で奈落の底に落ち、気づいたこと。先生への行為を猛烈に反省した

振り返れば、数多の思い出を失っていることに気づく。過去は、手に届きそうで届かない。伸ばした手は永遠に何かに触れることなく、そのうちに腕は疲れ、手を伸ばすことを諦める。
私は高1の時、担任の先生が嫌いだった。なんだか呑気で人の心に無神経にずかずか踏み込んできそうな所が苦手だと自分では思っていた。実際にそうだったかと言えば別にそうではない。単なる思い込みだとも言える。思春期と反抗期をこじらせた神経は理解不能だ。
自分を一匹狼か何かだと勘違いし、先生と目線を合わせない、笑わない、雑談はせず、自分の領域に踏み込んできそうなら切り上げるなどのそっけない態度を取った。何だかよくわからないミステリアスな人物を目指していたとも言える。また、弱みを握られたくなかったので勉強は着実に行い、定期考査や小テストで良い成績を修めた。失礼な態度を取り続けたので最後には愛想を尽かされたようだった。自業自得だ。
進級し、私は高2になり、担任が変わった。「別に何ともない」と思っていたような気がする。そう振り返った。しかし、当時の記録にはこう綴っていた。
「あの人が私の世界から消えてこのままいなくなってしまうことを私は1番恐れている」
高2最初の定期考査で私は悉く失敗した。数学は頑張ったにも関わらず平均点以下の50点。高1の最後と比べ、40点落ちた。8割を切ったことがなかった得意科目の英語、古典は70点台。高1の最後に100点という快挙を成し遂げた理科基礎は物理基礎へと名を変えた瞬間に60点台に堕落。全体で30位以上順位を落とした。悔しく、自分の要領の悪さを実感した。それだけならまだよかった。この時の私は更なる困難が待ち受けていることを知らなかった。
定期考査の後、部活動で慣れないリーダーというまとめ役を引き受けることになった。15人程度のグループをまとめ、発表に向け準備を進めていくというものだ。しかし、これをきっかけに私は奈落の底に突き落とされ、絶望と孤独を味わうこととなる。
「皆をまとめ、出来ていない所があれば注意する、自分が率先して前に出て姿を見せる、嫌な相手でも丁寧に対応する、辛くても皆の前では泣かない。そしてこれらの事を最後まで責任をもってやり通す」ことがリーダーに必要な力だと思っていた。そして私は「完璧」を目指していた。しかし、現実は理想をいとも簡単に砕く。慣れない先輩とのやり取りや部活に加え、定期テストで挽回するためにさらに勉強しなければいけないという意識。次第に私は追い詰められた。深海にいる気分だった。目の前の数々の困難を私は独りで乗り越えなければならない。そんな気がした。
幸いにも定期テストが終わった後勉強から解放され、ストレス因子は半減した。この期間を通して気づいたことがある。私は間違えていた。一匹狼のように独りで生きるなんてできない。他者を無視して生きることは不可能だ。自分の弱さを隠して生きることも不可能だ。自分の弱さを受け入れる覚悟を抱いて初めて、私は先生にした行為を猛烈に反省した。私は先生の粗探しをして、揚げ足を取っていただけではないかと。その3か月後、私は先生に直接謝罪することになる。
これは「完璧」に対する執着や、「弱さ」や「欠点」に対する過度な嫌悪からの卒業と言えるだろう。しかし、当時の記憶は年々薄れていると感じる。今回記録を振り返ったことで思い出したことが多々あり、思ったよりも過去の感情を忘れて過ごしていることに気づいた。しかし記憶は薄れたとしても、あの経験の延長線上に今の自分がいるのだとすれば、今の思考、言動の中に記憶は存在している気がするのだ。私は自分の過去から卒業し、未来を歩み始めている。それで良いのだ。
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