生まれ育ったここが小さい頃から苦手で、いつも出て行きたいと思っていた。
見渡す限りの山と田畑に囲まれ、水や空気が綺麗な所だった。
400年以上続く国の重要無形文化財の祭りもあった。
私は昭和50年代に生まれ、北関東にある小さな町で育った。

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伝統が息づく自然豊かな町といえば聞こえはいいだろうが、住んでいると昔からの風習が当たり前に続く、男尊女卑の息苦しい町だった。
祭りは必ず家族で出席して、男性がお酒を飲んで騒ぎ出す。女性は酒や食事の準備に追われ、卑猥な言葉をかけられてもうまくあしらいながらニコニコしている。

そんな大人たちを見ているのが嫌だったし、そうはなりたくないと思った。

だから「女子は地元の高校卒業後、就職、結婚、性別の違う子供を2人以上出産する」というこの地方定番コースを避け、東京の私立大学への合格を勝ち取った。
両親は私の夢を応援してくれた。
ただ、それ以外の周りはそうではなかった。

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「おばあちゃん、私、大学合格できたよ」

と、合格した私立大学名を言いながら同居している父方の祖母の部屋に入っていった。
定位置の座椅子で新聞を読んでいた祖母は老眼鏡をかけたまま目だけギロリとこちらを向けると、

「そこは、大学じゃないね」

と言ってきた。

「えっ、どういうこと?」

と、戸惑う私。
てっきり「おめでとう」など労いの言葉でもかけられると思っていたから、予想外の反応に何も言えずその場に立ちすくんだ。

「いいかい、大学っていうのは国立大学だけなんだよ。そんなところは大学じゃないね、行っても無駄になるだけだよ。どうせ嫁に行ってしまうのに、そんなお金をかけてどうするんだい」

と言うと、新聞に視線を戻した。
頑張ったことを褒められたいわけでは無いけど、無駄になると言われたことが悲しかった。

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それから数日後、今度は母方の祖父母に会った。
私の進学先の話は既に聞いていたのだろう。
会うなり祖母は

「あんた、大学合格したんだって。お金がかかるね。女の子なのに4年も通って結婚はどうするの?学のある女は嫌われるよ。何の役にも立たないじゃない」

祖父も

「お前の従兄弟は2歳しか変わらないのに、もう子どもがいるんだぞ。勉強なんかしてどうするんだい。結婚が女の幸せだぞ」

父方の祖母の言葉である程度免疫はついていたものの、こちらもお祝いの言葉1つ無かった。ちなみに、その従兄弟は高校中退後、元クラスメイトの幼馴染の彼女とデキ婚していた。

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実際に上京してみると、同年代の男女が大学生活を楽しんでいた。誰も大学進学が贅沢だったり悪いことなどと考えていない。ましてや子ども産むことが女の幸せなどと考えていない。
このように大学進学を経て様々な人の考えに触れた。正直、どの意見が正しいのかもわからず混乱した。それでも自分が信じた道を突き進むしかない。

周りの意見は丁重に聞くが、違うと思ったら右から左に華麗にスルーするのが1番だ。自分の信じた道を行くのが最良だと思う。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というモハメド・アリ選手のボクシングスタイルを思い出す。

また、周りの意見はただ私にマウントを取りたいのか、私を気にかけるが故に言ってくれているのか見極める力が必要だ。いちいち気にしていたり、全方向にいい顔をしていたらこちらの気持ちが持たないし、何より不可能だ。
それだけの強い心を持つには、経験が必要だ。最初から鋼のメンタルを持つことができる人は少ない。小さい経験を積んでいき、スモールステップしていくのが良いと思う。

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私は大学進学後、地元には戻っていない。
たまの長期休暇に帰ると、相変わらずの地元の価値観にうんざりすることもある。

母方の祖父が言っていたあの従兄弟の子が、進学するため東京で1人暮らしすることが決まったと聞いた。どうも地元の空気が肌に合わないらしい。
従兄弟は「女が学歴をつけてどうするんだ」と、私が祖父母に言われた事と同じ事を言っている。私は何も言わずにお茶を啜りながら聞いているが、心の中では彼女を猛烈に応援しているしその事を本人にも伝えたいと思う。