母親は子供を無条件で愛せると言いますが、私の母親の場合は条件付きの愛でした。
私の母親は一見穏やかに見えても、私の欲しい物や進学先や将来の夢などを全て否定してきて、母親本人の思い通りに支配しようとする恐ろしい人間です。
小学校低学年の時に大好きだった魔法少女アニメの玩具を「子供っぽいから駄目」と買って貰えなかった事。
小学校低学年の時に将来の夢が魔女だった事も「もう小学生なのに子供っぽい事を言うな」と否定された事。
高校卒業後に進学したかった小説の専門学校を「現実を見なさい。費用は出さないし、返せる当てもない奨学金を借りるのも駄目」と否定された事。
流行していたゲームを買って貰えなくて友達の輪に入れなかった事。
「あんたは何をやっても駄目」と全てを否定された事。
その他にも思い出したらキリがありませんが、一番嫌だった事は高校受験の志望校を勝手に決められた事です。
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本当はとても行きたかった私立のA高校があったのですが、母親はその高校が気に入らなくて恥ずかしい進学先だと思っていたそうで、隣町の県立C高校を受験するように強制的に決められてしまいましたが、それも「自分の意思」という事にされてしまっています。
因みに隣町の県立C高校の滑り止めとして別の私立のB女子高校を受験させられていますが、B女子高校を受けて、そこに進学できるお金があるのならば、私立のA高校に行きたかったというのが本音です。
隣町の県立C高校に合格した私のことを母親も、父親も、祖父母も親戚たちも皆が喜びましたが、志望校ではない高校を勝手に志望校にされて、受験したらなぜか合格してしまったというだけなので、全く嬉しくありませんでした。
私が「志望校」に受かったことではなくて、娘が隣町の県立C高校の生徒になるという事に喜んでいるとしか思えなかったからです。本当にそうでした。
隣町の県立C高校では虐めに遭って本当に辛かったので、転校したいと母親に言いましたが「せっかく受かったのに勿体ない」と世間体を気にして、転校はさせてもらえませんでした。虐めの加害者たちは2年生に進級できなかったので、2年生以降虐めは無くなりましたが、もし加害者たちも2年生に進級できていたらと考えたら今でも恐ろしいです。
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実家に住んでいた頃は母親に何もかもを決められてばかりで、自分の意見が通った事は殆ど無かったので、実家を出てからは自分の意思で好きな選択肢を自由に選べる事がとても嬉しくて楽しいです。
欲しかった玩具やゲームを買ったり、行きたかったコンサートや美術館に行ったり、実家に住んでいた頃は母親が「嫌いだから」という理由で禁止されていた物が自由に楽しめる事がとても幸せです。
とはいえ、妹のように結婚するまで実家暮らしで、結婚してからも実家の徒歩圏内に住むという生活にも憧れます。
妹は母親と気が合うので、母親が決めた事を何でも受け入れることのできる優秀な人です。私も妹のように優秀だったならば、母親から否定されずに幸せな暮らしが出来ていたと思いますが、私は母親が望む人間になる事は出来ませんでした。
私は母親だけではなく父親からも虐待を受けていて、父親からの虐待の中には命の危険があるくらい酷い虐待もありましたが、そんな時でも母親は父親の味方をして私を捨てました。
私の命を救ってくれたのは血の繋がった家族ではなくて赤の他人である医師や警察や福祉事務所等の沢山の方々でした。
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だけど本当ならば、あのとき母親に助けて欲しかったというのが本音です。
条件付きではない愛が欲しかったです。
悩んでいる時に肯定してくれるような言葉が欲しかったです。
私がありのままの私のままで生きていていいという言葉が欲しかったです。
子供時代に欲しかった物は、大人になってからでもお金を払って手に入れる事は出来ましたが、愛情だけはお金で買う事が出来ないので、ずっと足りないままです。