最近の少子化対策で波紋を呼んだのが高校の授業料無償化だ。所得制限や公立への限定がないことから歓迎する声が上がった一方で批判もある。その一部は「勉強する努力せずに私立に入った高校生に税金を使うなんておかしい」というものだ。

正直に言えば私も同意見だった。私立に入って親に経済的な負担をかけないように、自分の希望するレベルでありかつ公立である学校に入学するために一生懸命勉強した。

受験勉強してそれでも公立の志望校に不合格となりやむを得ず私立に入るしかなかったならまだわかる。けれども、私立にしか入れないぐらい成績の悪い人になぜ税金を使わないといけないのか。公立の定時制や単位制に入って働きながら勉強することだってできなくないはずなのに、なぜそんな努力をしない人に平等の名のもと学費を免除しないといけないのか。ずっとそう思っていた。

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俗にいうハイスペックの人たちには「高学歴=努力した人」という疑いのない確信がある。自分でいうのも変だが、将来医師になる私もおそらく世間的にはハイスぺに分類されるのだろう。努力とはするものであり、しないのは個人の怠惰で自己責任だと。

しかし、人に言われてはっとしたことがある。まず、努力できる環境自体が尊いものだということ。恵まれた環境というのは塾に行けるということだけではない。家事の大部分を負担する必要がないこと、最寄り駅まで送迎してもらえること、模試や入試の受験料を払ってもらえること、三者面談のために仕事を早退してくれること、教科書代を払ってもらえること、家に集中して勉強できる部屋があること、その他諸々。これらすべてが整って初めて勉強に専念し受験戦争に参加できる。

私の家は貧しくはないが裕福でもないので塾に通うことや浪人することに引け目を感じていたし私立受験なんて以ての外だった。高校から授業料の高い塾に通って医学部予備校で浪人して私立の医学部に進学した同級生を見て「現役・塾なしで国立に進学した私はなるべくお金をかけずに努力したな」とうぬぼれていた。けれども、その裏には家族が一生懸命築き上げてきた安定があり、私は知らずにそこで胡坐をかいていただけだった。

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個別指導塾で塾講師のバイトをして感じたこともある。お金があるからと言って努力できるわけではないのだ。勉強の仕方を教えてもらっていないから知らない、自尊心を削られているから自分がやればできるとは思っていない、境界知能や学習障害で頑張ってもどうにもならないことがある……など。

私は勉強の仕方なんて考えたことがなかった。教科書の読み方、問題集の解き方、テスト勉強のペースはいわば私の気の赴くままというか自分が足りないと思ったことをやってきたにすぎなかった。

けれども、みんながみんな自分に足りないことを見つけられるわけではないのだ。そして、それができないことを学校の先生にも親にも気づかれないことがある。「高い月謝を払ってもらってこんな成績なんてこの子たちは一体何をしに来ているんだ」と生徒に対して腹立たしく思うことが多くあったが、私がその苦しみを知らないだけだった。

「6万円かけたって私は何の効果も出せない」と吐き捨てた中学生の顔が忘れられない。

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高学歴の人は青春を勉強に捧げ、いつも何かを犠牲にしてきた。それは決して簡単なことではない。私も医学部に入るために辛い思いをしてきた。でも、その辛いことを経験できることさえも恵まれた環境だったのだ。

ハイスぺはそれまでの苦難の道ゆえに「努力してきた自分たちこそが偉い」という強い色眼鏡を外せずにいる。私も心の奥底でずっとそう思い続けるかもしれない。色眼鏡を外せないのなら、せめて万華鏡のように、少し見方を変えただけで違う世界線があるということを知っていたい。