時にはNoと言う。大事なのは「女性らしさ」よりも「自分らしさ」

世間が求める「女性らしさ」とは何か。わたしが描くそれはこうだ。料理上手でいつも髪の毛はあのCMで出てきそうな艶やかさを持ち、それでいて男性を立てることもできる...。そんなイメージが物心ついた頃にはわたしの中に根付いていた。
そうでなければ愛されないとさえ思っていた。料理は嫌いで、掃除も嫌い。できることなら仕事と旅や音楽、グルメなんかを好きだと思う人たちと楽しめたらそれでいい!そんなわたしを女性らしいとは言い難い。こうやってわたしも知らない間にわたしと世間の描く「女性らしさ」との闘いは始まっていた。
あることがきっかけで長い間男性不信だった。たとえば男の子に何か褒められることを言われてもそれが信じられず、からかわれている、と捉えることしかできなかった。その時のわたしは嫌悪感むき出しにしてでしか男の子とコミュニケーションをとることができなかった。幼い頃にいわゆる「モテる女の子」というのは「可愛い」「運動ができる」「賢い」「得意なことがある」「同性の友だちも多い」などなど。「女の子らしくない」自分はそれを別の世界の人と捉えて、「わたしなんか...」の気持ちで心が真っ黒だったように思う。
わたしは共学の大学に行ってある意味「リハビリ」をしつつ、ちょっとずつ男性と話せるようになった。それでもわたしの中にはいつも「女性らしさ」というものがまとわりつき、それを押しつけられるたび、嫌悪感を抱きつつも、ダイエットに励み、料理にも挑戦し、外からの評価を得ようとしていた。何かを選ばなければならないときに、「女性らしさ」を前提に選択肢を狭められているように感じるのが、わたしにとってとても窮屈だった。でもその窮屈さにまだ抗えない自分がいて、ずっと葛藤していた。
そんな中、わたしは転機を迎える。今仕事として行っている「キャリアコンサルティング」「コーチング」というものに出会ってからわたしは「自分の声」をよく聞くようになった。今まで仕方がないと流していたことも、疑問をそのままにせずそこに対する自分の想いや考えは何か、義憤からわかる自分の価値観はなんなのかを考えるようになった。こうしてわたしはある意味強さを手に入れた。強さとは筋肉や肉体的なものではない。わたしにとっての強さとは、世間でフォーカスされている「理想の女性像」に囚われずに自分らしく生きることができる、そんな強さだ。時にはNoと言うことを選び、わたしは「女性らしさ」よりも「自分らしさ」を選ぶようになった。
今、わたしが最も大切にしているのは、女性らしさに縛られず、男性らしさにも縛られず、自分がどう生きたいかにフォーカスすること。「女性らしさ」を演じるのではなく、自分らしく生きることこそが、一番自然で自由を感じられる道だと思っている。
「強さ」を手に入れたわたしは世間が求める「女性らしさ」と闘い続けることをやめた。それは闘うための強さではなく、自分らしく生きるための強さだからだ。そしてわたしは「女性らしさ」を価値と感じている人と闘うつもりはない。それはその人の価値観であり、それを大事にしてほしいと思うからだ。私も自分の価値観を大事にしたい。わたしは闘う必要がなくなった。
女性らしさを手に入れようとして、外の評価を求めていた自分はもういない。わたしは自分らしさを追求し、他人軸に左右されずに歩むことでわたしらしい人生をデザインしていきたい。
わたしが選択するのは、他の誰かの期待に応えることではなく、わたしが本当にしたいことに夢中になること。自分の声に耳を傾け、すべてを受け容れるのではなく、自分が選んだ方へ進んでいきたい。私は女性らしさに縛られずにこれからも生きていく。
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