扉を開けること。

記憶に残る事も少ないその行動は、私にとって一種の儀式と同義である。
「おはようございます」
瞬間、私は「私A」になる。
今日もそうして、1日が始まる。

◎          ◎

私は私という無数の人間が集まって成り立っている。
素の状態は、私ORG。
仕事の時は、私A。
後輩として振る舞う時は、私A-1、先輩として振る舞う時はA-2。
家族の前は、私B。
娘としては、私B-1。妹としては、私B-2。
無数の私を使い分けながら、私という人格は総合的に形成されている。
A群同士、B群同士の中では、比較的面の切り替えは容易だ。

そこに環境の変化が必要ではないから、である。
しかし、AからBへ、BからORGへ、と群を跨ぐ場合には訳が異なる。
現状、群を跨いだ切り替えは環境変化という強制的方法をとっている。
家は私ORGのための空間、そのため私AやBはそこで生きることはできない。
私Aになるためには、職場の扉を開けてスイッチを入れる必要がいる。
私Bになるためには、職場、自分の家と関わりのない場所に足を踏み入れる必要がある。
そうして、私は私という仮面の切り替えを行なってきた。

もうお気づきだろう。
私ORGが生存するための環境で私Aを発動させなければならない。
それがリモートワークであり、私にとって最も苦手なことの一つだ。

◎          ◎

ライオンやチーターといった陸上最強の名を欲しいままにする彼らも海に落ちればあっという間に、海の捕食者の餌に成り下がる。
逆に海洋生物は一度陸に上がれば命の水の供給なしではその命はほんの一瞬で耐えてしまうだろう。

アースラがいれば話は別だが、2025年までにアースラの存在は確認されていないため、海洋生物の人化はほぼ絶望的だ。
一方で深海のその先の、果てしない海の底。
人間など一瞬すら存在することのできない環境に微生物の存在が確認されている。
地球上の生物は生存環境を棲み分けながら生態環境を守り続けているのだ。
リモートワーク中の私は人魚のまま陸で過ごすアリエルと同じだ。

その場の環境に適しない自分がそこで生きていける訳ない。
状態異常も甚だしく、生産効率は出社した時の半分以下、ではないだろうか。
もちろん最低限実施すべきことは完了している前提ではあるものの、うまく切り替えができていたらもっとできるだろう。
最高で可、リモートワークにおける私の評価はこんなものだ。

◎          ◎

とはいえリモートワークが悪いわけではない。
企業としては交通費削減というメリットもあれば、起床即始業という労働者側のメリットも存在する。

ただ私には合わないだけなのだ。
時代の流れに取り残されていると言われるかもしれないが、人間特性上苦しいことに変わりはない、それでも時代は進む。

来月から環境が変わり、偶然かな、リモートワークが増えそうな状況だ。
コロナ禍に購入してすぐに捨てたデスクを買い直すか。

私自身、選択の時が迫ってきている。
46億年という地球の歴史の中で幾度となく発生してきた地殻変動。
その度に種は危機的状況に陥ってきた。絶滅した種も存在する。
それでも、その度に種は環境に順応し、新しい形で繁栄を繰り返してきた。
私にとって今がまさに地殻変動、NEWタイプとして繁栄するためのターニングポイントなのだろう。

環境の変化で訪れる苦難を乗り越えた先にある次の私を目指して、無理しない範囲で一歩足を踏み出してみようと思う。
リモートワークが苦手な人がもし読者の中にいたら、私と一緒に踏み出してみよう。
肺呼吸ができる魚類になれる日は、もしかしたら案外近いかもしれない。