千年前を生きる彼女の筆が遺してくれたのは、わたしたちの強いところ

千年前に、めちゃくちゃ強い女の子がいた。
彼女の名は清少納言。平安時代に、中宮定子に仕え、『枕草子』というエッセイを書いた人だ。
清少納言といえば、「気が強い」「教養がある」「機知に富む」――そんなイメージをもたれることが多い。実際、彼女の書く文章は理知的で、時に痛快で、鋭さとユーモアに満ちている。
でも、私がいちばん魅かれたのは、彼女の“推しへの愛”だ。清少納言は、ものすごく定子様のことが好きだった。
清少納言が『枕草子』に書いた、ある雪の日のエピソードがある。
定子様の兄・藤原伊周(これちか)が、雪の積もる中をわざわざ御所までやってくる。その登場のしかたがもう、かっこいい。紫色の直衣(貴族の礼装)に身を包み、真っ白な雪にその姿が映えて、まるで映画のワンシーンのよう。柱のそばに静かに腰を下ろし、定子様にこう語りかける。
「昨日も今日も物忌(ものいみ)で外出を控えていましたが、雪がこんなにひどくて、あなた様のことが気がかりで」それに対して定子様は、「雪で道もないと思っていましたが、よく来てくださいましたね」と返す。
伊周は微笑みながら、「きっと“よくぞ来てくれた”と思ってもらえると思って」と。
この会話、実はただの美辞麗句ではなく、和歌の引用がベースになっている。
拾遺集という歌集にある一首――
「山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む」
「雪で道もふさがれた山里に、今日訪ねてくる人を、きっと愛おしく思うことでしょう」
この和歌を踏まえて、会話が巧みにやりとりされているのだ。現代でいえば、好きな本や歌の一節をさりげなく使いながら会話しているようなもの。しかも、会話全体のトーンが自然で優美で、セリフのように“決まりすぎている”のに、わざとらしさがまったくない。
清少納言は「これほど美しく、見事な会話が他にあるだろうか」と、そのやりとりにしびれている。美しさと知性が溶け合うようなひととき。
でも、この枕草子が書かれた背景は、決して穏やかなものではなかった。定子の兄・藤原伊周は長徳の変で左遷され、定子の一族は没落していく。定子自身も後ろ盾を失い、やがて亡くなってしまう。
それでも、清少納言は『枕草子』に定子の弱った姿や、政変の暗い空気をほとんど書いていない。
書かれているのは、あくまで定子の気高く、美しく、知的で優しい姿だけ。きらきらと輝いていたあの時間だけ。
彼女は、“現実”ではなく、“真実”を選んで書いたのだと思う。たとえすべてを失っても、定子様はこんなに素晴らしかったと、未来の誰かに伝えたかったのだろう。
そう思ったとき、「強さ」って、こういうことなのかもしれないと気づいた。
私は自分の人生で、足元がゆらいだり、絶望したことがあった。
正直なところ、「いなくなってしまいたい」と思ったことは何度もある。
でも、そんなときこそ思い出す。
中宮定子のそばにいた清少納言が、それでも気高く振る舞ったあの姿を。笑顔を守るために、書くことで光を遺そうとしたあの強さを。
私は、ひとり、部屋の中で『枕草子』を読んで、彼女の強さに救われた。
千年前に彼女が記した言葉が、私に光を与えてくれた。
もし清少納言が今、友だちだったら、私のネガティブエピソードだって「その感じ、枕草子に書いたら面白そう」って、肩をすくめながら言ってくれるかもしれない。
わたしたちの強いところは、現実に打ちのめされそうなときでも、美しさを拾い上げられること。そしてなにより、「好きなものは、好き」と言い切れる強さ。
清少納言のように、誰かを全力で“推せる”強さ。
彼女の筆が遺してくれたように、私もまた、今という時代の中で、自分なりの言葉を綴っていきたい。私たちは、自分の“強いとこ”を、ちゃんと知っているから。
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