大雨が止んだ後の晴れた綺麗な朝に生まれた私は、何よりも雨が好き

梅雨は毎日のように雨が降るし天気は悪くじめっとしている。曇天の空を見るだけで気分も落ち込む、そんなことをよく聞く。湿気も多く、女の子たちはせっかく可愛くセットした髪型が崩れるから、雨の日のお出かけは嫌う人もたくさんいるのだろう。
でも私は何よりも雨が大好きだ。雨が毎日降る梅雨はもっと好きだ。
私が雨が好きな最大の理由は私が梅雨生まれだからということが大きい。私が生まれたのは6月の下旬、絶賛梅雨ど真ん中の日だった。出産予定日のその日は朝から大雨が降り続いており、母と父はこんな雨の日じゃなくても、せめて雨が止んでくれたらとさえ思っていたらしい。両親の願いが届いたのか、私が生まれたのは次の日の大雨がちょうど止んだ綺麗な晴れた朝だった。母曰く、信じられないほど綺麗な空で、病室から見る朝の景色が忘れられないそうだ。
だからなのか私は雨女なのだが、本当に雨が降られては困るという日には必ず雨は止む。学生最後の修学旅行で沖縄に行った日も、季節外れの台風に当たってしまい終日生憎の天気だったのに、マリンスポーツをやる中日だけはなぜか綺麗に晴れていた。もちろん台風の影響で風が強く、最高のコンディションとは言い難い天気だったが、沖縄らしい綺麗な海で楽しむことができた。雨女や晴れ女に関しては迷信だと思っていたが、母から「実はあなたが生まれたのはね、大雨が止んだ後の晴れた綺麗な朝だったの。だから大切な日だけは雨が上がるのかもね」なんて言われてしまったら、自分の雨女さえも愛おしく思えてしまう。
私が雨が好きな理由はもう一つある。雨はこの世の全てを包み込む力があると思う。この言い方は大袈裟かもしれないが、あながち間違ってはいないのではないだろうか。作物は雨がないと育たない。川も雨がないと流れが止まってしまう。失恋の涙さえも雨が隠してくれる。みんな晴れの日の気持ちの良い太陽にばかり目を向けがちだが、太陽が主人公だとしたら、雨はこの世の裏方であると思う。雨がなければ何事も始まらない。無意識に雨の恩恵を地球に住む生き物たちは受けているのだ。
でもやはり雨の日は自ずと外に出るのをみんな控える。外のテーマパークは雨だと過ごしにくいし、遊具にも乗れない。そんな日は誰か大切な人と家で映画を見たり、自宅で美味しいご飯を食べたりする人が多いのではないだろうか。
私は学生時代は室内の文化部に所属していた。文化部はなんだか地味なイメージがあり、校庭で楽しそうに走り回る運動部の連中を羨ましいと思っていた。しかし、雨の日は外の運動部も中に入り、廊下をランニングし、教室でトレーニングをしていた。雨の日だけはみんな平等でいられるような気がしていたのだ。みんなで校舎に引きこもり黙々と部活に打ち込む。そんな時間が好きだった。ひねくれた言い方をすると、どんなに陽キャの人間でも雨の力には勝てない。雨の日には外でバーベキューなどできないのだから、室内に入らざるおえない。全てを包み込んでくれるそんなところが雨の一番好きな所なのかもしれない。
これから桜の時期が終わり、やっと私の大好きな梅雨が来る。一年もの間心待ちにしていたのだ。梅雨のじめっともわっとした嫌な感じすらも愛おしい。雨の日の夜のなんだかアンニュイな雰囲気、そんな日々が待ち遠しい。今年の梅雨はどこに紫陽花を見に行こうかな。その時私は誰と見ているんだろう。なんて今から計画を立てている所だ。
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