地面が太陽にメラメラと照らされる夏を予告するように、梅雨は毎年やってくる。

それはくせ毛の私にとって大変悩ましい季節である。ここ2,3年は梅雨の時期が短く、1年を通して降る雨も少ないため、あのジメジメとした空模様にカエルさんがひょっこり現れそうな景色を恋しく思ったりもする。

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ときどき雨が私の味方をしてくれた、という出来事も少なくはない。特に学生時代、体育の授業が苦手で、特に外だとドッチボールやテニス、もっと最悪の場合はマラソンを決行されることが多かった。ゴールデンウィークなどの連休明けに、そうしたハードな授業が重なると、学校に行くだけでも憂鬱なのに、私は言葉がでないほど絶望しそうだった。

そのせいか、朝の天気予報で「今日は1日、晴れるでしょう」なんて解説されている日は、身体が重ダルく感じていた。そんな私にとって、「1日中、雨が降り、夕方ごろにはようやく晴れ間が見られるでしょう」なんていう天気予報士さんの解説を聞いた朝は、とびきり心も身体もほぐれ、いつも以上にスタスタと学校へ行く足が進んでいくのだった。

もしかすると、私のように体育や外での活動が苦手な人にとって、雨は最大の味方であり、晴れは最大の敵、だという認識が根付いているのではないかと考えたりもする。しかし、社会人になると雨に濡れながらの通勤が億劫で仕方なく、気圧の変化に敏感になってしまう人々にとって、梅雨はとても鬱陶しいものだということは察したいものだ。

とにかく、くせ毛がよりうねっていくことのほかに梅雨が最悪だと感じたことがない私にとって、「雨よふれふれ!」と毎年、心の底で唱えていた学生時代が懐かしく、楽しく健やかに過ごした思い出には、必ず雨の景色が広がっている。

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梅雨の時期の体育は天国で、梅雨が明けて暑さに晒される晴れ間が地獄。もう私にとって、はっきり言ってしまえば、雨よもっと働いても良いのよ、と誘ってしまいたくなる。それでも梅雨が明けると本格的な夏がやってくるというのは、天気と人間の合言葉のようなもので、毎日雨に晒されるというわけにはいかないのだ。

光があれば影があり、雨が降る日もあれば晴れ渡る日もある。まるで私たちの人生のようだ。そう、天気って人生に似ているなあ、と最近になって私は感じるようになった。そうやって天気を人生にたとえると、梅雨は充電期間ともいえる。

春(心と身体を整える期間)を経て、夏(戦いに挑む期間)の間に存在する、梅雨は、人生のなかでほんの一休みする時間と等しいと思う。もし心に雨を降らせるような悲しい出来事があったとして、その悲しみに時間を忘れて浸ることが許される期間といっても良いのかな。

「早く雨、止んでくれよ」と言われたとしても、「今は梅雨だから仕方ないよね」という会話が成り立つように、「いつまでも悲しんでたらダメだよ。早く立ち直らないと」と言われたとしても、「いいの、今は心休める充電期間なのだから。梅雨のようなものよ。また必ず鬱陶しいほど元気に心も晴れるのだから」という、何気ないやりとりが成り立ってほしいなあ、と私はこっそりと切実に願っていたときもある。

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そうして梅雨は、なんだか嫌いになれない期間というか、もうすぐ夏だけど、ジメジメする日もあって良いでしょ?と問われているような気もして、ジメジメする期間の工夫が楽しかったりもするのだ。ただ、生まれながらくせ毛のため定期的にストレートパーマをあてている私は、髪の毛の質ごと変えたいと思わせてくるのは梅雨しかないというのも確かなことである。

人生いろいろ、天気もいろいろ、四季折々。なんだか見苦しいラップ初心者みたいな書き方をしたけれど、私が言いたいことは、まとまったようだ。