私は、この春、4年10ヶ月勤めた会社を退職する。入社したときは、ちょうどコロナが始まったばかりの頃で、東京から飛行機に乗って、1人見ず知らずの地方へ転職した。25歳の時だった。

羽田から飛行機に乗って、転職先のある地方空港へ飛ぶ。行き先は雨の多い地域のため、私が降りたその日も、まだ梅雨の最中で雨が降っていた。そのため、飛行機が着陸して、車窓から外の景色を見ても、灰色の雲の塊と雨に打たれる空港しか見えなかった記憶がある。
私は、生まれ育った東京を離れて、20代半ば、1人で地方転職をした。

空港から出てバスに乗り、中心街の駅へ向かうと、さすが歴史ある街。いたるところに神社があった。
町の中心地は、ちょうどコロナ禍であったのもあり、シャッター街だった。風情あふれる、昭和さながらのお店が立ち並ぶ。そのほとんどが、スナックや個人飲食店だった。そんな雨に打たれるレトロな街並みが、私にとっては珍しく、何枚か写真に収めてまた街を歩いた。

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私の4年10ヶ月は、紆余曲折で、最後の方は「満足。楽しかった」「あっという間だった」という感想で締めくくれた。
最初は、企画系の部署で、右も左もわからず、誰も立ち会ったことのないコロナ渦だったのもあり、社内も客先も焦っていたのを覚えている。
そんな焦っている社内をよそに、私は「受け入れられた最年少の新入社員」として、大事にされていたと思う。たしかに、私は、上司にどこか籠の中の卵ように守られていたし、客先とオンラインでやりとりする日々だったので、自然と、地方の全国の客先とも仲良くなっていった。
私にとって、地方で働くのも緊急事態宣言の中で働くのも初めてだったので、社内や社会の喧騒とは離れ、どこかマイペースにお客さんと仕事をして最初の1年が過ぎ去った記憶がある。

転職して2年目からは、都市部で働く上司の下、チームの自分以外がリモートで働いていたので、コミュニケーション頻度や、連携のしづらさ、少し手触り感が少なくなった記憶がある。
相変わらず、社内の人間関係にいざこざは無いものの、私は少し、東京が恋しくなった。
会社の寮にも入っていて、そちらは大変なこともあったので、東京や都会に帰って友達とお茶をしたい、20代らしくオシャレをしたいと思うようにもなった。
そこから、お金を貯めては、近場の神戸に行ったり、飛行機で東京にいったりして、自分なりに自分時間を過ごすようになった。

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でも、その後は、親しかった上司が戻ってくれたり、営業担当になり、営業の楽しさを実感することが増えた。営業として、お客さんと何か一緒に創り、実現する。実現のお手伝い役として、自分が営業担当をしている。そんな、自分の営業としての存在意義みたいなのを、すごく感じる機会が増えた。
いまでも、地方のお客さんとのいい思い出ばかりで、あの時のクライアントさんや、割り振ってくれたり継続的にサポートしてくれた上司には、とても感謝している。
営業嫌いで転職したはずなのに、いつしか「営業って楽しい。尊いんだ」と思うようになった。これには、転職前の自分を思い出すと、本当にビックリする。

もう一つ、地方転職して学んだことがある。協働など、グループワークだ。地方に来て、組織の穴を埋める縁の下の力持ちにやりがいを感じている職員が多く、私もそのスタンスを学んだ。

そんなこんなで、5年弱いた地方を離れ、ライフステージの変化とともに、また東京に戻る。
これからの東京生活も、どんな日々を創れるか、楽しみだ。