「どうしようーーー。頭が真っ白だ」

新卒で入社した4月、私の日々はいつもこんな様子だった。

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海外大卒でも帰国子女でも、英語圏に留学経験もなかった私だが、独学で語学を学び、1社目として就業した会社は欧米系の外資系だった。

上司も欧米人、チームメイトも自分以外が欧米系の外国人。もちろん、社内公用語も英語。
同期の子達は、皆、帰国子女やハーフだったりした。
「日本語が通じない環境。日本企業のカルチャーがまかり通らない会社」に就職したのだった。

そんな時、唯一、同じ部署に配属された同期の女の子が、日中のハーフで、日本語が堪能だった。
なので、私はその同期の子と、一緒に励まし合いながら過ごすことになった。

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(日本でありながら外資系の多国籍チームという)異文化での就業環境は、1日1秒たりとも、自分の思い通りに進むことがなかった。

新卒だった私は、もともと胆力や海外経験や営業経験があるわけでもないので、とにかく人目のないところで、一人悔し泣きをする日々だった。

自分の力不足という理想と現実のギャップもあれば、慣れない異文化ゆえ、スムーズに事が進むことがない悔しさもあった。最初は自分への悔しさや異文化差への苛立ちで、悔し泣きすることが多かった。

あの時の私は、「早く活躍したい」「成長したい」と心から願っていたのだな、と今にして思う。
今振り返っても、毎日、ついていくのに必死。
そんな新入社員だった。

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仲の良かった、同期のその子とは、途中でお互い別々のキャリアを歩むことになった。

「海外大卒でも帰国子女でもない」という大きな共通点があり、仕事の仕方や価値観も日本人らしい私とその子は、異文化で就業する中、いつからか同志だった。お互い、自分で掴み取りにいかないと行けないプロアクティブな環境で、目と鼻の先にデスクがあったので、辛いことがあったんだろうな…という日は、お互い、コーヒーを飲んで支え合っていた。

「一緒にいれば、悲しいことは半分に、仕事でうまくいった時の喜びは2倍」といえるほどの、存在だった。

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ところが、彼女は先に転職した。
その後、ライバル会社で、実力が花開くまで、営業のキャリアを進んで行っていた。

私は、その後、地方へ単身転職した。
引き続き、営業職であったが、東京の外資系時代とは違った、ローカルな暖かくて緩やかな環境で前に進んでいった。

たまに、私が東京に帰る時に、彼女と会って近況報告したりしていた。
彼女は、30歳手前になるまで、ひたすら外発的にプレッシャーに耐え忍んで、それでもキャリアの目標を追いかけて、高い給与をもらいながら、最近、念願だった職種に転職した。
それとともに、結婚をして、プライベートでも前進したようだ。

キャリアもプライベートも両方をつかんだ彼女は、自信に満ちて、でも当時と変わらず周りを大事にする、女性らしい素敵な人で、時の経過と成長を感じた。

新卒の同期時代から、応援していた同志なので、そんな今の彼女の幸せを、心から「おめでとう。(頑張って)良かったね」と称えられる自分がいる。

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そんな彼女に、時折、東京に帰った時に言われたことがある。

「(あなたは)質問上手だから、営業続けてるんだ」

継続して営業として、東京の外資系で働いていた彼女から言われたその言葉が、なんだか嬉しかった。

私はだいぶ年収を下げて、本当のやりがいを求めて地方転職をして、あれから営業を続けた。

彼女は、あのまま東京にいて、もう営業を卒業をして、その東京で職種転換を実現して働いている。

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数年前まで、同じスタートラインをきった二人だが、5年以上の時を経て、お互い別々のキャリアや人生を歩んでいる。

それでも、私たちは、新卒の時のように会い続けて女子トークを続けている。

「私も、5月から東京に戻るんだ。引き続き、営業だよ」「そろそろ、結婚も考えなくちゃ」と先日、報告した。

物理的距離は、また近くなった。
お互いライフステージや仕事が変わっても、いままでと変わらない距離で、お互い励まし合える関係でいれたら、と思う。