お互いの身体を知らないまま夜が明けた。心と身体がようやく一致した

はじめてだった。
お互いの身体を知らないまま、夜が明けたのは。
私の生活に朝をもたらしてくれたのは、あの夜だった。
社会人になってから、自分の存在がぼやけたように感じることが多くなった。
学生時代は、私のままで生活できていたのが、社会人になった途端に、会社を軸に生活が流れていくように感じた。自分の存在が曖昧になっていくのとともに、寂しいという感情がどんどん日常に染み出していった。
そんな染み出した寂しさは、よく知りもしない男によって拭われた。
躊躇もなく伸ばされるその手に、自分の存在の外側を感じて、安心した。男によって得られる快楽というよりも、私は安心感が欲しかった。それがいちばん、寂しさを紛らわしてくれたような気がしていたけれど、寂しさは別なところから、どんどん染み出していっていることに気づいた。
そして、自分の身体をはっきりと自覚するたびに、自分の内側が抜け落ちていく感覚がした。
自分の存在が支離滅裂に感じた。
彼と出会ったのは、それから半年もした頃だろうか。
染みついた寂しさを感じながらも、それを他人任せにしないくらいには、自分を客観視できるようになっていた頃だったと思う。
マッチングアプリでの、彼とのやりとりが、日常の楽しみになっていた。
文字だけのやりとりだったけれど、なんとなく感じる、つかず離れずの雰囲気が心地よかった。
実際に会ったのは、やりとりを始めて、2-3か月もしたころだったと思う。
会うことに少しの不安もなかったとはいえないけれど、それまでの男性とも違うような気がしていた。そんな根拠のない確信があった。
初めて会った日のことは、緊張していたこともあって、何を話したとかそういうのはほとんど忘れたけれど、楽しかった気持ちと、別れ際の清々しい寂しさは、はっきりと覚えている。
「オールしよう!」
いつものように昼間に会って遊んで、夕方を迎えたときのことだ。なんの準備もなく、急遽提案したにも関わらず、彼は提案にのってくれた。
決して寂しさの埋め合わせとしてではなく、純粋に彼との楽しい時間がもっと続いてほしかっただけだった。
文字通りの着の身着のままの状態で、無計画。
海見たさに場所を海岸線に移し、少し時期の早い手持ち花火を買った。
砂浜にレジャーシートを敷いて、微妙な距離を空けて座った。夜な夜な駄弁って、次第に遠くの空が明るくなってきた頃に、ようやく線香花火をした。ぱちぱちと散る小さな火花を見つめる私と彼との間には、何も起こらなかった。
ただの友達。気の合う男友達。
これまで恋愛について話し合うこともなかった私たち。
お互いの存在に居心地のよさを感じながらも、互いに触れることには慎重になる私たち。
だって私たちは、ただの友達だから。
“だけど、もし、ただの友達じゃなかったら…?”
レジャーシートに座る私たちはゼロ距離だったはずで、そもそも行先はホテルだったかもしれない。
きっとそれはそれで、いい思い出になっただろう。
だけど、触れようと思えば簡単に触れられるのに、触れられないそのもどかしい距離に、はっきりと自分と彼を感じていた。
彼を意識すればするほど、自分の存在の外側が、あぶりだされていく。
彼を思えば思うほど、心も明け透けになっていく。
そのとき、ようやく自分の身体と心が一致した気がした。
朝が来るまで、何度も想像した。
彼の肌の質感や温度、握り合う手に込められる力加減とか、一線を越えなければ知ることもないあれこれ。
私はそのどれも知ることなく、帰路についた。
けれど、不思議と寂しさはなく、心にはぬくもりが宿っていた。地に足がついた感覚とともに、ちゃんと前に進んでいる実感があった。
朝が来るまで知らなかった感覚や感情が、私の日常を彩っていく予感がした。
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