大学卒業後就職して上京し、初めての社会人・都会での生活・1人暮らしの支えとなっていたのは遠距離恋愛中の彼だった。大学時代から4年目の付き合いとなる彼はとってもポジティブで、明るく、いつも私を笑わせてくれる存在だった。

遠距離恋愛を始めた頃は、毎日連絡をとった。会えない時間も楽しかった

大学の時はほぼ一緒にいて、ただでさえ楽しい大学生活を一番楽しく過ごせたのは私ではないか、というくらい楽しい日々だった。
私が上京を決めた時も、彼は誰よりも応援してくれたし、私より楽しみにしていた(笑)。最初の頃は毎日連絡をとり、電話も週に4回はしてて、会えない時間もお互い楽しい時間だった。

私の誕生日に彼が会いに来てくれて、ステキなコース料理がでてくるようなお店に連れて行ってくれた時そうとは知らず、ニット帽をかぶってきた私を嫌がらず笑ってくれたり、そのお店にゴキブリが出た時、店員さんがイタリアの方で、「飲食店だからしょうがない」と言った時も怒らず笑ってくれたりする、すっごく寛大な人だった。

私が結婚式で帰省したときも、結婚式のあと彼の家に行く約束をしていたら、「結婚式場まで迎えにいくよ」と何も言ってないのに県を越えて迎えに来てくれたこともあった。どこまでも優しくしてくれる彼に、私は甘えてばかりだった。

寂しさから、彼との”会えない時間”が私のストレスに。私は彼との別れを決意した

ただ、私と彼の“会えない時間”への考え方が少しずつずれていってしまっていたのはひしひしと感じていた。彼はすごくポジティブだったので、“会えない時間は次会える時を楽しみに頑張れる”という考えだったが、私は“会いたい時に会えない寂しさが全然埋まらない”と考えてしまうようになってた。

上京して半年が経ったころ、私は仕事も順調で友達も増え、1人暮らしも楽しくなっていき、最初のころの不安が全て解消された。
だが、1つだけストレスに感じていたことがあり、それは“彼との関係”だった。
元々マメでない彼は連絡の返信も遅くなり、1日2回やりとりしたらいい方だった。元々ポジティブでない私は不安と会えない寂しさから、彼と会えないことをストレスに感じるようになっていた。
”人生、彼とのこと以外はすっごく上手くいってるのに!”と思うようになり、彼との別れを決意し、会いに行く時間もお金もなかったので電話で1時間ほどで別れるという結果になった。
泣いたところを4年付き合って1回程しか見たことがなかったが、電話越しで分かる程泣いている彼をとても苦しく、愛しくも感じた。

私をポジティブにしてくれた彼からの言葉が私の宝物。これからの人生でもずっと忘れない

私が幸せにすることはできなかったけど、彼には絶対に幸せになって欲しいと心から思う。書いていて、「だった」という言葉が私が彼を忘れることができ、前に進んでいる証拠だなと思う。
彼が最後に言ってくれた言葉を、今でも私は辛い時に思い出す。昔よりとてもポジティブになることができたこの言葉は、これからの人生でもずっと忘れられない。
「貴方はどこに行ってもみんなから愛されるし、それを僕は保証する。側でちゃんとやって支えてくれる人と本当に幸せになって欲しいから、ずっと応援してる」
この言葉が宝物です。