梅雨に思い出す、白い花束を抱えたアイドル

梅雨は、夏に向かう数週間、雨や曇りの日が多く続く季節だ。晴れが好きなので、梅雨は基本的に憂鬱で、その憂鬱さを直視しないために予定を詰め込む。幸い、世の中も4月からの変更に慣れ、仕事も学校もそれなりに円滑にまわっている時期だからか、予定を立てやすい。
1日に3〜5個の予定を平気で詰め込み、大学→部活→オンラインmtg2件、なんて毎日を過ごす。予定を詰め込みすぎなのか、偏頭痛持ちなのもあるのか、梅雨は基本的に体調が悪い。幼い頃好きなバンドのボーカルが「一年のうち300日くらいは具合悪いですね」と発言していたのを見て衝撃を受けたけれど、ここ数年の梅雨の時期は8割くらいからだのどこかが痛い。
梅雨になると思い出す写真がある。曇天の中、大きな白い花束を抱えて、顔のほとんどが前髪とマスクで隠れた、好きなアイドルの姿。コロナ禍の頃、映画やドラマや音楽、ほぼ全てのエンタメはストップし、その分の皺寄せは規制が少々ゆるんだ夏頃にいった。ちょうど梅雨から梅雨明けの時期。撮影3件、オーディション1件、撮影の準備1件…こちらがわかるだけでも5作品ほどの俳優としての仕事を同時期に抱え、加えてアイドルとしてはCDのリリース時期。聞くだけで目眩がしそうな状況なのに、雑誌の撮影現場でもらったという花束を抱えて微笑んでる姿。
梅雨時期に予定を詰め込み、心にもからだにも余裕が無くなると、いつだって忙しそうな好きなひとのことを思い出す。わたしにとって、その姿は憂鬱な時期を走っていくための明確な光だ。
「好きなひとがあれだけがんばっているんだから、わたしもまだがんばれるでしょ」って思ってる、と友人に話すと大概の場合ちょっと引かれる。モチベーションにするとかのラインを越えているし、おそらくそのラインはあまり越えない方が良いものだろう。自他境界が曖昧であるとは、たとえばこういうことなのかもしれない。
梅雨になると、身体のしんどさも相まって、こういう思考にいつもよりさらに傾きやすい。降り続く雨に溶けるように、梅雨の蒸し上げられる空気の中に境界線が溶けていく。
去年の梅雨は大学の授業のひとつが佳境なのと、サークルの状況が危機的だったのとで、ほとんどそれらに費やした、はず。記憶がないのだ。もう何もかもすっぽ抜けてしまったように、何を感じたか、何をしていたのか、覚えていない。
事細かにびっしりと記されたカレンダーだけが、わたしの代わりにわたしのことを記憶している。でも、その間に好きなひとの出てるドラマが始まったことは、それがとても素敵だったことは、記憶がすっぽ抜けた空洞の中でもぽつんと光っている。ある意味都合が良い頭なのかもしれない。つらかっただろうことなんて、覚えていて擦り倒しても精神に負荷をかけるだけだとも思う。どんよりと澱んだ梅雨の中でキラキラ光っている姿は、曇天の中で光るように輝いていた白い花束とマスク越しの好きなひとの笑顔と被る。
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