車社会、モーニング文化…中部のカルチャーショックと変わらぬ私

「どこに住む?」でも「どこで働く?」でもなく、「どこで生きていく?」か。なかなかヘビーな質問だ。
高校卒業まで関東の実家に住み、大学も東京、当たり前のようにそのまま首都圏で就職した。卒業と同時に海外へ飛んだり地方のコミュニティに飛び込んだりした友人もいた。そうした軽やかさに憧れる気持ちがなかったわけではないけれど、ひとまずは、居心地のよさと安心感に身をゆだねることにしたのだった。
転機は社会人2年目に突入してすぐにやって来た。新卒で始めた仕事がどうにも性に合わず、ギャップイヤーをとるくらいのつもりで退職。引き続き関東圏で働ける場所をゆっくり探す予定だったが、興味のある業界の会社と縁があり、とんとん拍子に話が進んだ。ただ想定外だったのは、縁もゆかりもない中部地方での採用だったことだ。「縁もゆかりもない土地で働き、暮らす」という選択が目の前に差し迫って初めて、その意味を考えた。いや、考えなかったのかもしれない。テキパキと引越しを済ませ、その会社に赴くことになった(した)のだが、ふりかえると意味など分からないまま、身軽なうちにというだけの選択だったのかもしれない。
人生のほとんどを過ごした関東地方を離れ、中部地方へ。車社会、モーニング文化、盆地特有の極端な気温......。もちろんいいことばかりではないけれど、カルチャーショックを受けつつ、同じ国にいながら今までに持つことのなかった視点を与えられ、なかなか興味深い日々を送っている。とはいえ、場所が変わったことで劇的に何かが変わったかと言われればそんなことはない。何度MBTI診断をやっても I(内向型)であり J(判断型) な私は、どこへ行っても出不精で人見知りだし、計画的な生活を好む。新しい場所へ行ったら行ったで、自分にとって心地よいルーティーンを構築するのだ。似たような経験は大学生のとき、短期の留学に行った時にもしていた。海外の学生と交流し、日本とは異なる文化や言語にダイブした生活。それでも日本での生活と同じように朝はランニングをしたし、積極的に新しい場へ出向くというよりは気の合う数人と授業や放課後をともにした。
これは一つの発見だったと思う。地元で家族と暮らしていたころは、「大学へ行けば」「海外へ行けば」「環境が変われば」自分も変わるのだと思っていた。ところが、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、人の気質というのはそう簡単に変わるものではなかった。
住む場所が変わるということは、生活圏にある店の顔ぶれや地域のカラー、友人や家族との物理的な距離が変わるということであり、それらは日々の過ごし方や社会との関わり方に、少なからぬ影響を与えるだろう。けれども、それで自分の性格や価値観が180度変わるということは、そんなにないと思う。どちらかというと、自分と街や地域や周囲の人がそれぞれ90度くらいの幅を持ちながら関わり合い、その幅の中を行ったり来たりするイメージだ。
この結論は「何かが変わるんじゃないか」という漠然とした期待を裏切る一方で、何かが劇的に変わるのでなければ「どこへ行ったっていいんだ」という柔軟な考え方を与えてくれた。きっとどこへ行っても、基本の自分を保つためのルーティーンをくり返しながら、私は私なりの仕方でその環境と関わり合うのだろう。
まだ一つの土地に腰を落ち着かせるプランはないので、当面は人間関係だったり街の雰囲気だったり日々目にすることになるであろう景色だったり、その時々で大切にしたいものにアンテナを張って流浪したいと思っている。
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